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渡辺綱倫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
渡辺綱倫
守綱寺所蔵
時代 江戸時代後期
生誕 天保4年7月10日1833年8月24日[1]
死没 元治元年9月13日1864年10月13日
別名 通称:小半蔵→半蔵
墓所 愛知県豊田市寺部町の守綱寺
官位 従五位下飛騨守
主君 徳川茂徳義宜
尾張藩家老
氏族 三河渡辺氏
父母 父:渡辺寧綱
成瀬正肥養女(渋谷良徳娘)
綱聡
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渡辺 綱倫(わたなべ つなとも)は、江戸時代後期の尾張藩家老。渡辺半蔵家12代当主。

生涯

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天保4年(1833年)、尾張藩家老・渡辺寧綱の長男として誕生した。万延元年(1860年)、寧綱の死去により家督を相続する。

文久元年(1861年)、皇女和宮の降嫁の際に、幕府より尾張藩に道中警護の命が下り、中仙道で警護に当たった。文久3年(1863年)、家老となる。同年、従五位下、飛騨守に叙任。元治元年(1864年)7月、禁門の変の際に、銃隊100人を率い京都御所南門を守備した。長州兵との戦闘で敗れた責任を取って同年9月13日、自害する。享年32。

渡辺綱倫の墓(豊田市守綱寺)

家督は、8月に生まれたばかりの長男・綱聡が相続した。

出典

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  • 『豊田市史』

脚注

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  1. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.860