渋沢言忠
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しぶさわ あきただ 渋沢 言忠 | |
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生誕 | 1912年10月6日 |
死没 | 1987年 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 京都大学法科卒業[1] |
配偶者 | 渋沢昭子 |
親 |
実父:津軽行雅 実母:津軽理喜子 養父:渋沢武之助 養母:渋沢美枝 |
親戚 |
兄:津軽承靖(男爵) 姉:池田富貴子(池田宣政夫人) |
渋沢 言忠(しぶさわ あきただ、1912年10月6日[1] - 1987年)は、日本の実業家。古河合名会社、新立川航空機常務(1954年 - ?)を務めた[2][3][4]。
家族
[編集]男爵・津軽行雅(1881年 - 1923年、細川行真の子で津軽承昭の娘婿[5])の三男で[1]、実母は津軽理喜子(承昭の庶出子)である。養父は渋沢武之助、養母は渋沢(旧姓:福原)美枝(1894年 - 1976年)で、妻の渋沢昭子(1915年 - ?)は養父母の実子である。親戚に渋沢敬三(妻昭子の従兄)と渋沢雅英(敬三の長男)がいる。
妻の昭子が東京女学館出身であることから、東京女学館の理事を務めた。言忠没後は昭子の意向により、宗家当主の渋沢雅英がその職を引き継いだ。
系図
[編集]→「渋沢氏 § 系図」を参照
脚注
[編集]- ^ a b c 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)し69頁
- ^ 『人事興信録 第12版 上』シ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第13版 上』シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月31日閲覧。
- ^ “閨閥学-偉人たちの家系図・子孫・経歴- 婚姻により構築される一族の繋がり 渋沢家(渋沢栄一・渋沢正雄・渋沢武之助の家系図・子孫)”. 2022年12月31日閲覧。
- ^ 津軽承昭『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]