出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清水 雲窩(しみず うんか、寛政12年4月(1800年) - 明治2年12月(1870年))は、江戸時代後期の儒学者、教育者。名は勝従。字(あざな)は義卿[1]。幼名は安太郎。通称は十三郎、致仕後に撫松。号は雲窩、酔石[2]。
福岡藩士として筑前国に生まれる[1]。
奥山遊春に学び、藩校修猷館の教職となる[2]。
剣術にもすぐれた[1]。
- ^ a b c 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)938頁
- ^ a b 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)30頁