清水一 (保健学者)
しみず はじめ 清水 一 | |
---|---|
生誕 | 1947年 |
居住 |
日本 アメリカ合衆国 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 保健学 |
研究機関 |
国立療養所東京病院 東京大学 ボストン大学 ジューイッシュメモリアル病院 群馬大学 広島大学 井野口病院 高知リハビリテーション専門職大学 |
出身校 |
中央大学理工学部卒業 ボストン大学修士課程修了 |
主な業績 |
作業療法の「作業」の手段と 目的の有効性の研究 作業習熟予測の研究 |
影響を 受けた人物 | トロンボリー |
主な受賞歴 |
日本作業療法士学会 学術部員表彰 (1996年) 作業療法ジャーナル賞 (2000年) 日本作業療法士協会表彰 (2003年) |
プロジェクト:人物伝 |
清水 一(しみず はじめ、1947年 - )は、日本の作業療法士、保健学者(作業療法学)。学位はMaster of Science(ボストン大学・1984年)。高知リハビリテーション専門職大学リハビリテーション学部教授、広島大学名誉教授。
国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院助手、東京大学医学部附属病院リハビリテーション部作業療法士、ボストン大学研究助手、ジューイッシュメモリアル病院作業療法士、群馬大学医療技術短期大学部助教授、広島大学医学部助教授、広島大学大学院保健学研究科教授、広島大学大学院保健学研究科副研究科長、井野口病院リハビリテーション科科長などを歴任した。
概要
[編集]作業療法学を専攻する保健学者である。作業療法における「作業」の手段と目的に関する研究で知られている[1]。国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院で教鞭を執ったのち[2]、東京大学医学部附属病院で作業療法士として勤務した[2]。ボストン大学で研究助手となったのち[2]、ジューイッシュメモリアル病院で作業療法士として勤務した[2]。群馬大学、広島大学で教鞭を執ったのち[2]、井野口病院のリハビリテーション科で科長を務め[2]、高知リハビリテーション専門職大学で再び教鞭を執った[2]。日本高次脳機能障害学会の特別会員の一人として名を連ねている[3]。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]1947年に生まれた[4]。厚生省の附属機関である国立療養所東京病院(現:国立病院機構東京病院)に置かれた附属リハビリテーション学院に進学し、作業療法学部にて学んだ[2]。1972年3月に卒業した[2]。
1972年4月、国立療養所東京病院に採用され、厚生技官として母校である附属リハビリテーション学院の助手に就任した[2]。同年12月、東京大学に採用され、医学部附属病院のリハビリテーション部に作業療法士として勤務した[2]。その傍ら、並行して中央大学に進学し、理工学部の管理工学科にて学んだ[2]。1978年3月、中央大学を卒業し[2]、工学士の称号を取得した[註釈 1]。1981年3月、東京大学を退職した[2]。
保健学者として
[編集]アメリカ合衆国に渡り、1983年9月よりボストン大学の研究助手を務めた[2]。ボストン大学のサージェント校において、教授であるトロンボリーの下で研究に従事した[2]。1984年2月、ボストン大学の研究助手を退いた[2]。1984年9月に健康・リハビリテーション科学部修士課程を修了し、Master of Scienceの学位を取得した[2]。
1984年10月、ジューイッシュメモリアル病院に採用された[2]。作業療法士として勤務し、1985年10月に退職した[2]。
日本に帰国後、1986年4月に群馬大学に採用され、医療技術短期大学部の助教授に就任した[2]。それと並行して、群馬大学の医学部のリハビリテーション医学専攻科にて学んでおり[2]、1993年3月の修了と同時に群馬大学を退職した[2]。
1993年4月、広島大学に医学部の助教授として採用され、主として保健学科の講義を担当した[2]。1998年4月に教授となっている[2][註釈 2]。2004年4月から2008年3月まで保健学研究科の副研究科長を務めた[2]。2003年3月から2012年3月にかけて、中国運輸局にて中国地方交通審議会の委員を[2]、2009年4月から2013年3月にかけては、文部科学省の審議会等である大学設置・学校法人審議会にて大学設置分科会の委員をそれぞれ兼任した[2]。2012年3月、広島大学を定年退職した[2][註釈 2]。これまでの功績により、広島大学より名誉教授の称号が授与されている[2]。
広島大学を定年退職してからは、2013年4月より井野口病院の嘱託職員となり、リハビリテーション科の科長[2]、2016年4月からはリハビリテーション科の顧問を務めた[2]。2019年4月、高知リハビリテーション専門職大学に採用され、リハビリテーション学部の教授に就任し[2]、主としてリハビリテーション学科の作業療法学専攻の講義を担当する[8]。
研究
[編集]専門は保健学であり、特に作業療法学といった分野の研究に従事した。具体的には、作業療法における「作業」について、その手段と目的の有効性について研究していた[1]。また、作業習熟予測の研究についても取り組んでいた[1]。そのほか、高次脳機能障害に対する作業療法についての研究も知られていた[1]。これまでの業績に対して、1996年6月には日本作業療法士学会学術部員表彰を[2]、2000年3月には作業療法ジャーナル賞を[2]、2003年6月には日本作業療法士協会表彰を[2]、それぞれ授与されている。
学術団体等としては、日本作業療法士協会[2]、高次脳機能障害作業療法研究会[2]、日本高次脳機能障害学会[2]、日本A-ONE研究会[2]、日本リハビリテーション医学会[2]などに所属していた。高次脳機能障害作業療法研究会では、1990年11月より世話人を務めていたほか[2]、副会長といった役職も務めていた[2]。日本A-ONE研究会では、2012年9月より特別顧問を務めていた[2]。日本高次脳機能障害学会では、2007年9月から2017年12月まで評議委員を務め[2]、2017年12月に特別会員となった[2]。
略歴
[編集]- 1947年 - 誕生[4]。
- 1972年 - 国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院作業療法学部卒業[2]。
- 1972年 - 国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院助手[2]。
- 1972年 - 国立療養所東京病院退職[2]。
- 1972年 - 東京大学医学部附属病院作業療法士[2]。
- 1978年 - 中央大学理工学部卒業[2]。
- 1981年 - 東京大学退職[2]。
- 1983年 - ボストン大学サージェント校研究助手[2]。
- 1984年 - ボストン大学退職[2]。
- 1984年 - ボストン大学修士課程修了[2]。
- 1984年 - ジューイッシュメモリアル病院作業療法士[2]。
- 1985年 - ジューイッシュメモリアル病院退職[2]。
- 1986年 - 群馬大学医療技術短期大学部助教授[2]。
- 1990年 - 高次脳機能障害作業療法研究会世話人[2]。
- 1993年 - 群馬大学医学部リハビリテーション医学専攻科修了[2]。
- 1993年 - 群馬大学退職[2]。
- 1993年 - 広島大学医学部助教授[2]。
- 2003年 - 中国運輸局中国地方交通審議会委員[2]。
- 2004年 - 広島大学大学院保健学研究科副研究科長[2]。
- 2007年 - 日本高次脳機能障害学会評議委員[2]。
- 2009年 - 文部科学省大学設置・学校法人審議会大学設置分科会委員[2]。
- 2012年 - 広島大学定年退職[2][註釈 2]。
- 2012年 - 日本A-ONE研究会特別顧問[2]。
- 2013年 - 井野口病院リハビリテーション科科長[2]。
- 2016年 - 井野口病院リハビリテーション科顧問[2]。
- 2017年 - 日本高次脳機能障害学会特別会員[2]。
- 2019年 - 高知リハビリテーション専門職大学リハビリテーション学部教授[2]。
賞歴
[編集]著作
[編集]翻訳
[編集]- Lorraine Williams Pedretti編著、宮前珠子・清水一・山口昇監訳『身体障害の作業療法』改訂第4版、協同医書出版社、1999年。ISBN 4763920731
- 清水一・宮口英樹・松原麻子監訳、Glen Gillen編著『脳卒中のリハビリテーション』三輪書店、2015年。ISBN 978-4-89590-499-5
監修
[編集]- 川原薫編著、清水一監修『事例カンファレンスで学ぶ高次脳機能障害リハビリテーション』三輪書店、2016年。ISBN 978-4-89590-581-7
寄稿、分担執筆、等
[編集]- 小林夏子・福田恵美子編、矢谷令子監修『標準作業療法学――基礎作業学』2版、医学書院、2012年。ISBN 978-4-260-01492-2
- 種村純編『やさしい高次脳機能障害用語事典』ぱーそん書房、2018年。ISBN 978-4-907095-48-2
脚注
[編集]註釈
[編集]- ^ 工学士の称号は、1991年7月1日以降の学士(工学)の学位に相当する。
- ^ a b c 高知リハビリテーション専門職大学による清水の経歴の資料によれば「平成10年4月 広島大学大学院保健学研究科教授(平成14年3月迄)」[2]「平成16年4月 広島大学大学院保健学研究科副研究科長(併任)(平成20年3月迄)」[2]「平成24年3月 広島大学大学院保健学総合研究科定年退職」[2]と記載されている。一方、広島大学による研究科の沿革の資料によれば「◆平成8年4月 大学院医学系研究科保健学専攻(修士課程)を設置」[5]「◆平成10年4月 大学院医学系研究科保健学専攻(博士課程)設置」[5]「◆平成14年4月 大学院医学系研究科(保健学専攻)は、大学院保健学研究科(保健学専攻)に改称」[6]「◆平成24年4月 ○大学院医歯薬学総合研究科及び大学院保健学研究科を再編・統合し、大学院医歯薬保健学研究科を設置」[7]とされている。したがって、高知リハビリテーション専門職大学の資料は「平成10年4月 広島大学大学院医学系研究科教授(平成14年3月迄)」「平成24年3月 広島大学大学院保健学研究科定年退職」の誤字と考えられ、清水は1998年4月~2002年3月は大学院医学系研究科、2002年4月~2012年3月は大学院保健学研究科に所属していたと思われる。しかし、断定はできないため、ここでは大学院保健学研究科への異動時期、および、退職時の所属部局については割愛した。
出典
[編集]- ^ a b c d 「研究業績」『教員|作業療法学専攻|高知リハビリテーション専門職大学』高知リハビリテーション専門職大学。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz 「基礎データ」『教員|作業療法学専攻|高知リハビリテーション専門職大学』高知リハビリテーション専門職大学。
- ^ 『一般社団法人日本高次脳機能障害学会名簿』2022年5月28日。
- ^ a b 「清水, 一」『清水, 一, 1947- - Web NDL Authorities (国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)』国立国会図書館、1998年4月27日。
- ^ a b 「医学研究科(S34.4~S57.3)薬学研究科(S48.4~S58.3)医学系研究科(S57.4~H25.2)」『沿革 | 広島大学』広島大学。
- ^ 「保健学研究科(H14.4~R2.3)」『沿革 | 広島大学』広島大学。
- ^ 「医歯薬保健学研究科(H24.4~)医歯薬保健学研究院(H24.4~H29.3)」『沿革 | 広島大学』広島大学。
- ^ 「基本情報」『教員|作業療法学専攻|高知リハビリテーション専門職大学』高知リハビリテーション専門職大学。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 清水 一 - researchmap
- 清水 一 - J-GLOBAL
- 清水 一 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース
- 論文一覧(KAKEN)
- 日本の研究.com:377634
- 清水 一 - Webcat Plus