深沢要
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深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、日本のこけし研究家・版画家・童話作家。本字での表記は深澤要。
略歴
[編集]東京市下谷区池之端七軒町に生れる。少年期は、医師である父に従って九州で育った。1917年、福岡県嘉穂中学校に入学するが病気のため退学。1921年、大阪泰西学館に入学するも病気のため退学。[1]
1925年、大阪市立工業学校(現大阪市立都島工業高等学校、翌年、大阪市立都島工業学校と改称)に勤務。かたわら童話研究を志す。1929年、都島工業学校を退職。行人社書店を設立するが病気のため閉店。『古本屋の棚』『子供考』を出版。 1933年、東京に移る。1934年、このころより、こけしの収集研究が始まり産地訪問が始まる。1938年『こけしの微笑』(昭森社)を出版。「追求」に取り掛かる。 当時、こけし作りから離れていた多くの工人を「発見」。こけし作りの再開を促している。それらの工人には、大沼岩蔵、佐藤善七(横山)、柏倉勝郎、佐藤留治(小安)、坂下権太郎などがいる。[1]
1942年、西宮市に移り、鉄工所の経営を始める。1947年、前年より肺炎を発症、療養に努めたが西宮市において死去。満谷池墓地に埋葬された。行年42歳。 没後、1948年、鳴子町温泉神社境内に「こけし歌碑」が建立された。[2] 夫人は、深沢欣。妹に江隅君子がある。[3]
著書
[編集]- 『古本屋の棚』(1931年)
- 『子供考』ヤマト書房(1931年)
- 『こけしの微笑』昭森社(1938年)
- 『奥羽余情』私家版(1947年)深澤欣編
- 『こけしの追求』昭森社(1952年)「こ版」「け版」「し版」
- 『羨こけし こけしの微笑・こけしの追求』未来社、(1962年)
- 『奥羽余情』(短歌・俳句・こけしかるた)全2冊 未来社(1984年)
出典
[編集]- 『こけし辞典』pp.482-483「深沢要」「深沢コレクション」
- 「こけし手帖」14・15深澤要号 東京こけし友の会(1957年)
- 「これくしょん」15<こけし特集>通巻79号、今村秀太郎編、ギャラリー吾八(1962年)