海野昌雪
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時代 | 戦国時代、安土桃山時代、江戸時代初期 |
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生誕 | 永正16年(1519年)[注 1] |
死没 | 慶長19年9月10日(1614年10月13日)[注 1] |
別名 |
幸房、仲政 新九郎、新左衛門 |
戒名 | 常銭、栄悦 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 武田信玄、勝頼、徳川家康 |
氏族 | 滋野氏流海野氏 |
父母 | 海野昌元(氏信) |
妻 | 馬場信春の娘 |
子 | 幸広、政次、昌重(幸勝)、幸政 |
海野 昌雪(うんの まさゆき、永正16年(1519年) - 慶長19年9月10日(1614年10月13日)[注 1]は、戦国時代から江戸時代初期の武将。通称は新左衛門。
人物
[編集]滋野氏流海野氏の末裔を称する。父・昌元とともに甲斐国の武田信玄に仕えて戦功があったが、昌元は永禄4年(1561年)川中島の戦いで戦死。次代の武田勝頼の時に武田家は滅亡する。慶長7年(1602年)徳川家康に召し出されて仕官し、土蔵番を務める。
4子があったがいずれもが江戸幕府に仕えた。昌雪の家督は3男の昌重が継承し、長男・幸広と次男・政次は幕府鳥見となり別家を興した。4男の幸政の家は後に御家人となった。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』