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海住山長房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
海住山 長房
時代 平安時代後期 - 鎌倉時代初期
生誕 仁安3年(1168年
死没 仁治4年(1243年)1月16日
別名 海住山民部卿入道
官位 正三位参議正三位民部卿
主君 高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 藤原北家勧修寺流九条家
父母 父:九条光長、母:藤原俊経の娘
兄弟 長房二条定高、藤原盛房、藤原宣房、長範、光遍、長信、女子、女子
二条定高、藤原宣通、藤原宣房、長全、女子(藤原資家の室、藤原資季の母)、女子、女子
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海住山 長房(かいじゅうせん ながふさ)は、平安時代後期から鎌倉時代にかけての公卿。参議正三位民部卿。この在俗時代の名を藤原長房という。出家して海住山寺二世となり、海住山民部卿入道と号す。父は参議九条光長、母は参議藤原俊経の女。家は弟の二条定高が嗣いだ。

経歴

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以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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脚注

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  1. ^ 臨時
  2. ^ 父の光長が参議右大弁を辞しての申任による。和泉守は元の如し。
  3. ^ 蔵人と右衛門権佐は元の如し
  4. ^ 同日、蔵人と右衛門権佐を兼ねたか。
  5. ^ 朝覲行幸時の院使による。
  6. ^ 朝覲行幸時の東宮御給。
  7. ^ 「解脱上人特集」中の「海住山寺二世慈心房覚真の在俗時代 - その一」(黒田彰子 愛知文教大学教授)

出典

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