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浜田治貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜田治紀から転送)
はまだ はるき
浜田 治貴
本名 浜田 治希(はまだ はるき)
別名義 浜田 治紀
生年月日 (1961-08-15) 1961年8月15日(63歳)
出生地 日本の旗 高知県高知市
民族 日本人
身長 178 cm
血液型 AB型
職業 俳優
ナレーター
活動期間 1984年 -
事務所 アトミックモンキー
公式サイト 公式ウェブサイト
主な作品
テレビドラマ
電撃戦隊チェンジマン
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浜田 治貴(はまだ はるき、1961年8月15日[1] - )は、日本の俳優ナレーター。本名および旧芸名は浜田 治希(読みは同じ)[1]

高知県出身[2]高知高校日本体育大学卒業[3]アトミックモンキー所属。身長178cm。

来歴・人物

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大学在学中に文学座演劇研究所を経て、大学卒業後にこまつ座に入団する[2][3]。演劇活動を経て、1985年に『電撃戦隊チェンジマン』の主演の剣飛竜 / チェンジドラゴン役に抜擢される[3]。その後もドラマなどに出演し、2000年に活動をナレーションに移行する[2][3]

趣味は映画、音楽鑑賞。特技は野球で、中学から大学時代の途中まで野球部に在籍していた[2]

エピソード

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俳優を目指すきっかけは、大学時代に野球部を辞めた際に野球以外に打ち込めるものを模索していた時、自分にとってやりがいのある仕事として俳優を選んだ[2]

『チェンジマン』への出演経緯は知人のマネージャーからの紹介で、他のメンバーは数回オーディションが行われたのに対し、浜田は面接1回で合格した[2][3]

『チェンジマン』の撮影の合間には、チェンジドラゴンのスーツアクターである新堀和男たちと野球することが楽しみで、新堀は浜田の野球フォームは格好良かったと述べている。一方、浜田自身は野球経験者だったのに格好悪いと言われるとシャレにならないので、気を遣っていたという[2]

『チェンジマン』で共演した和泉史郎は、メンバーの中では浜田がもっとも演技の経験を持っていたが「のんびり屋」であったため、実際には疾風翔 / チェンジグリフォン役の河合宏が引っ張る役割になっていたと証言している[4]

ナレーターへの移行は、同期の俳優たちが声優として活躍していたことに刺激され、自分の仕事の幅を広げたいという意識からだった[2][3]

出演

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テレビドラマ

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映画

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  • 電撃戦隊チェンジマン(1985年、東映主演・剣飛竜 / チェンジドラゴン
    • 電撃戦隊チェンジマン
    • 電撃戦隊チェンジマン2 シャトルベース! 危機一髪! 
  • イマジン・デイ・ドリーム(1997年、東宝

舞台

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  • 女の一生(1984年、文学座
  • 早春スケッチブック(1984年、地人会)
  • 美しきものの伝説(1984年、地人会)
  • 迷路 ダマシのテクニック(1987年、ディアイーラカンパニー) 主演
  • BAD BOYS BAD GIRLS(1987年、ディアイーラカンパニー)
  • ぺんぺんぺん(草薙幸二郎プロデュース
  • 高校野球殺人事件(劇団サハラ)
  • 高校野球殺人事件フォーエバー(劇団サハラ)

ナレーション

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テレビ番組

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日本テレビ
TBS
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京
その他

CM

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  • ソースネクスト SPACE ADVENTURE COBRA魂打
  • ソースネクスト「特打・特打式」シリーズ

脚注

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  1. ^ a b 『日本タレント名鑑'94』VIPタイムズ社、1994年、283頁。 
  2. ^ a b c d e f g h 『東映ヒーローMAX』 Vol.9、辰巳出版〈タツミムック〉、2004年6月10日、64-67頁。ISBN 4-7778-0035-0 
  3. ^ a b c d e f 「SPECIAL INTERVIEW'85 浜田治貴」『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』《1985 電撃戦隊チェンジマン講談社〈講談社シリーズムック〉、2018年5月25日、18-19頁。ISBN 978-4-06-509612-3 
  4. ^ 超世紀全戦隊大全集 1993, p. 187, 「戦隊シリーズ キャストインタビュー 和泉史郎」.

参考文献

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  • テレビマガジン特別編集 戦隊シリーズ20周年記念 超世紀全戦隊大全集』講談社、1993年11月14日。ISBN 4-06-178416-1 

外部リンク

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