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可美村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅場村から転送)
かみむら
可美村
スズキ本社
スズキ本社
可美村旗
可美村旗
可美村章
可美村章
可美村旗 可美村章
1972年昭和47年)11月11日制定
廃止日 1991年5月1日
廃止理由 編入合併
可美村浜松市
現在の自治体 浜松市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
浜名郡
市町村コード 22501-0
面積 4.11 km2
総人口 13,255
国勢調査、1990年10月1日)
隣接自治体 浜松市
村の木 マキ(通称・ホソバ)
村の花 モモ
可美村役場
所在地 432
静岡県浜名郡可美村若林925番地の1
座標 北緯34度41分18秒 東経137度42分19秒 / 北緯34.68839度 東経137.70522度 / 34.68839; 137.70522座標: 北緯34度41分18秒 東経137度42分19秒 / 北緯34.68839度 東経137.70522度 / 34.68839; 137.70522

西遠地域の町村制施行時の町村。16が浅場村。(35.入野村)
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高塚駅
中央区増楽町にある可美村時代のマンホールの蓋

可美村(かみむら)は、かつて静岡県西部、浜名郡に存在したである。

現在の浜松市中央区の一部で、高塚町増楽町若林町東若林町を村域としていた。1991年平成3年)5月1日浜松市編入合併して消滅した。本項目では改名前の浅場村(あさばむら)についても説明する。

概要

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二輪自動車メーカースズキ遠州製作の本社が所在し財政面で豊かであったため、長らく市町村合併をせず、周辺の町村が次々と合併していく中、合併前には広島市に四方を囲まれる府中町[注 1]同様、1961年から1991年まで30年間に亘って浜松市に四方を囲まれて浮島のような状態となっていた[1][注 2]

前述のとおり、スズキ本社から法人市民税固定資産税などによる税収を得ていたため、周辺町村が合併していく中でも浜松市への合併を拒否し続けてきた。合併に踏み切った理由は、都市計画道路が村内で途切れる等していた事と廃棄物処分や屎尿処分を包囲されている浜松市に委託できず、道路など必要な整備や廃棄物・屎尿処理が可美村単独では不可能と分かったためで、村の行政の円滑化を図るため、1990年(平成2年)に入ると突然浜松市との合併構想が浮上し、同年9月に合併を申し入れ、村議会で可決。

同年12月に合併協議会を設置し、翌1991年(平成3年)1月に浜松・可美両市村議会(議長:田中満州男)の議決、同年3月に静岡県議会の議決を経て同年5月1日付けで浜松市に編入合併された。

地理

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町内を東西に横切る国道257号の南側は多少低くなっているものの、基本的に村内での標高差はほとんどみられない平地であった(浜松平野)。住宅地が多く、田畑などもみられる。なお合併から35年近く経過した現在においても高層建築物は市内の他地域に比べて少ない[1]。 国道257号線の南側を高塚川が通っている。村域の北東部に堀留川が流れる。

広袤

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  • 東西4.3 ㎞・南北1.25 ㎞である[1]

人口

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  • 約1万3000人ほどであった[2]
  • 平成2年13,216人内訳は高塚4077人、増楽2435人、若林4553人、東若林2221人。男女は男6717人女6499人。

隣接していた自治体

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歴史

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沿革

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浅場村制時代

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い浅場村発足。発足時の大字は、浅田・伊場海老塚・東鴨江・明神野(現:神田町)・東明神野(現:春日町)・増楽・若林・東若林。村名の由来は、当時大きかった地区の「浅田」と「伊場」から1文字ずつ採択[1]
  • 1908年(明治41年)10月1日 - 浅田・伊場・海老塚・東鴨江の各大字が浜松町に編入される[1]
  • 1910年(明治43年)3月28日 - 大字 高塚を入野村から編入する[1]
  • 1911年(明治44年)7月1日 - 浜松町が市制施行し、浜松市になる。

可美村制時代

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  • 1914年(大正3年)3月10日 - 村名を浅場村から可美村に変更。村名の由来は、当時の浜名郡長の鈴木七二郎氏の漢詩文より選定された(美しかる可(べ)き村)瑞祥名
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 明神野(現:神田町)・東明神野(現:春日町)の各大字が浜松市に編入される。
  • 1961年(昭和36年)6月20日 - 当時浜名郡同士で唯一隣接していた篠原村が浜松市に編入、当村はこれより四方を浜松市に囲まれた状態となる。
  • 1972年(昭和47年)11月11日 - 村章を制定する。[3]
  • 1991年(平成3年)5月1日 - 浜松市編入される。また、合併により大字名の末尾にが付けられた。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - 浜松市が政令指定都市に移行し、1908年(明治41年)と1949年(昭和24年)に編入された大字が中区、1991年(平成3年)に編入された村域が南区となる。
  • 2024年(令和6年)1月1日 - 浜松市の行政区再編により、全域が中央区となる。

行政

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村章

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村民憲章

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村政70周年を記念し制定された。

一、自然を大切にし 安全で住みよい環境をつくります

一、思いやりの心をもち 心身の健康につとめます

一、仕事に励み 明るく和やかな家庭をつくります

一、教養を豊かにし 文化の向上につとめます

一、ふれあいの輪をひろげ たがいに助けあいます

歴代村長

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『静岡県歴史人物事典』 による[4]

若林町諏訪神社東側の合併記念碑による。可美村教育委員会平成3年4月30日発行の可美村写真集参照

浅場村長
  • 初代:大杉邑次(鴨江):明治22年(1889年)6月5日-明治(1889年)7月15日
  • 第二代:斎田儀助(増楽):明治22年(1889年)8月30日-明治24年(1891年)2月6日
  • 第三代・第八代:岡部譲(伊場):明治24年(1891年)2月18日-明治26年(1893年)9月6日・明治32年11月22日-明治33年4月4日
  • 第四代:小池文雄(浅田):明治26年(1893年)9月16日-明治28年(1895年)3月21日
  • 第五代:鈴木民治(浅田):明治28年(1895年)6月3日 -明治29年(1896年)9月24日
  • 第六代:菅沼耕造(新所):明治30年(1897年)4月29日 -明治31年(1898年)7月25日
  • 第七代太田五平(増楽):明治31年(1898年)1898年10月5日 -明治32年(1899年)8月31日
  • 第九代・第十二代:太田助左衛門(若林):明治33年(1900年)7月5日 - 明治35年(1902年)4月9日・明治41年11月16日-明治44年4月15日
  • 第十代:渡辺傳吉(東若林):明治35年(1902年)5月3日 - 明治39年(1906年)4月30日
  • 第十一代:大杉喜三郎(鴨江):明治39年(1906年)6月19日 - 明治41年10月1日
可美村長
  • 第十三代:高橋岩吉(高塚):明治44年(1914年)5月26日 - 大正4年(1915年)5月22日
  • 第十四代:小野田五郎兵衛(高塚):大正4年(1915年)5月31日 - 大正12年(1923年)5月27日
  • 第十五代:高橋平次郎(高塚):大正12年(1923年)6月2日 -昭和6年5月30日
  • 第十六代:齋田政平(増楽):1931年5月31日 - 昭和11年4月25日
  • 第十七代:新村彌市(若林):昭和11年(1936年)5月1日 - 昭和17年8月24日
  • 第十八代:中村牧太郎(若林):昭和18年(1943年)4月16日 - 昭和21年11月16日
  • 第十九代:高橋英一(高塚):昭和22年(1947年)年4月10日 -昭和22年(1947年)11月5日
  • 第二十代:和久田武(高塚):昭和23年(1948年)2月 -昭和27年(1952年)2月17日
  • 第二十一代:高橋榮一郎(高塚):昭和27年(1952年)2月20日 -昭和31年2月16日
  • 第二十二代:杢屋啓次郎(若林):昭和31年(1956年)2月18日 -昭和43年2月17日
  • 第二十三代:小島静雄(東若林):昭和43年(1968年)2月18日 -昭和47年2月17日
  • 第二十四代:太田保(増楽):昭和47年(1972年)2月18日 -昭和55年(1980年)2月17日
  • 第二十五代:大場賢治(増楽):昭和55年(1980年)2月18日 -平成3年4月30日

産業

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  • スズキの本社が置かれていたことから、法人住民税及び固定資産税の収入により財政面では裕福であり、周辺の自治体が全て1950年代に浜松市に合併されていくなか、当村は長らく独立を保っていた。スズキの本社所在地は「静岡県浜名郡可美村高塚300番地」が正式な住所であったが、対外的には「浜松」の企業として知名度が高かったためか「静岡県浜松市外高塚300番地」とされ、通用していた(特に1980年代後半頃)[注 3][5][2]。合併により名実ともに浜松市の企業となった。

交通

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道路

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鉄道

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学校

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中学校

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小学校

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保育園

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  • 可美村立可美保育園

幼稚園

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  • 可美村立可美幼稚園

施設

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神社

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  • 高塚熊野神社(高塚)
  • 熊野神社(増楽)
  • 諏訪神社(若林)
  • 八幡神社(東若林)

寺院

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  • 如法山高蔵寺(高塚)・・臨済宗方広寺派大通院末
  • 護法院地蔵院(高塚)・・臨済宗方広寺派大通院末
  • 東松山増楽寺(増楽)・・臨済宗方広寺派大通院末
  • 宝珠山威徳寺(若林)・・臨済宗方広寺派大通院末
  • 大宝山能済寺(若林)・・臨済宗方広寺派大通院末
  • 大徳山広隣寺(若林)・・臨済宗方広寺派大通院末
  • 東光山観照寺(東若林)・・臨済宗方広寺派大通院末

出身著名人

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脚注

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注釈

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  1. ^ 広島県安芸郡府中町も、マツダの本社などが立地しており巨額の法人税が入ることから財政面で非常に豊かであり、長らく広島市との合併を拒否し続けてきているという共通点がある。
  2. ^ 1965年7月に浜松市に編入された庄内村以来、26年ぶりの合併となった。
  3. ^ 同様の理由で、かつてマツダも各種広報では「広島県広島市外府中町」と記していた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 可美村勢要覧 '88 私たちの可美村 p2
  2. ^ a b トップページ”. 浜名商工会可美支所. 2014年2月2日閲覧。
  3. ^ a b 可美村勢要覧 '88 私たちの可美村 p6
  4. ^ 静岡新聞社出版局 1991, 532-533頁.
  5. ^ 沿革 1909年〜”. スズキ. 2014年2月2日閲覧。

参考文献

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  • 可美村役場『可美村勢要覧 '88 わたしたちの可美村』静岡県浜名郡可美村、1988年5月1日。 
  • 美しるべき里可美村写真集 平成3年4月30日発行
  • わが町文化誌「美しかる可き里」平成17年3月15日発行
  • 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249 

関連項目

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