浄妙寺 (有田市)
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浄妙寺 | |
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多宝塔(国の重要文化財) 薬師堂(本堂、国の重要文化財) | |
所在地 | 和歌山県有田市宮崎町1000 |
位置 | 北緯34度4分34.5秒 東経135度6分52.7秒 / 北緯34.076250度 東経135.114639度座標: 北緯34度4分34.5秒 東経135度6分52.7秒 / 北緯34.076250度 東経135.114639度 |
山号 | 醫王山 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 大同元年(806年) |
開基 | 如宝、藤原乙牟漏(発願) |
中興年 | 正保4年(1647年) |
中興 | 徳川頼宣 |
文化財 | 本堂、多宝塔、木造薬師如来及び両脇侍像、木造十二神将立像、蓮華唐草文螺鈿須弥壇(重要文化財) |
法人番号 | 3170005002749 |
浄妙寺(じょうみょうじ)は、和歌山県有田市にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は醫王山。本尊は薬師如来である。山の中腹にある境内には、本堂(薬師堂)や多宝塔など中世の建築物が現存する。
歴史
[編集]寺伝では大同元年(806年)、平城天皇の母藤原乙牟漏の発願により、鑑真の弟子の唐僧・如宝が創建したとされる[1]。なお、乙牟漏は延暦9年(790年)に没しており、寺伝の通りとしても、創建までには相当の年数を要したことになる。
天正13年(1585年)豊臣秀吉の兵火を受け、山中にあった薬師堂(現在の本堂)と多宝塔を残して全ての堂宇を焼失した。以後長らく荒廃していたものを正保4年(1647年)に紀州藩初代藩主徳川頼宣が再興した[1]。
文化財
[編集]重要文化財(国指定)
[編集]- 本堂(薬師堂) - 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改造。1904年(明治37年)8月29日重要文化財指定[2]。
- 多宝塔 - 三間、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改造。1904年(明治37年)8月29日重要文化財指定[3]。
- 木造薬師如来及び両脇侍像 - 鎌倉時代
- 木造十二神将立像(12躯) - 鎌倉時代。12躯のうち6躯は1994年11月18日に盗難に遭っている[4]
- 蓮華唐草文螺鈿須弥壇
和歌山県指定文化財
[編集]- 多宝塔内壁画(八相成道図、真言八祖像)
その他
[編集]- 方丈 - 江戸時代初期
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、p.514
- ^ 文化遺産データベース 浄妙寺本堂(2016年9月24日閲覧)
- ^ 文化遺産データベース 浄妙寺多宝塔(2016年9月24日閲覧)
- ^ 和歌山県立博物館(2012年11月18日閲覧)
参考文献
[編集]- 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、平凡社、1983