コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

浄妙寺 (有田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浄妙寺

多宝塔(国の重要文化財)

薬師堂(本堂、国の重要文化財)
所在地 和歌山県有田市宮崎町1000
位置 北緯34度4分34.5秒 東経135度6分52.7秒 / 北緯34.076250度 東経135.114639度 / 34.076250; 135.114639座標: 北緯34度4分34.5秒 東経135度6分52.7秒 / 北緯34.076250度 東経135.114639度 / 34.076250; 135.114639
山号 醫王山
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建年 大同元年(806年
開基 如宝藤原乙牟漏(発願)
中興年 正保4年(1647年
中興 徳川頼宣
文化財 本堂、多宝塔、木造薬師如来及び両脇侍像、木造十二神将立像、蓮華唐草文螺鈿須弥壇(重要文化財)
法人番号 3170005002749 ウィキデータを編集
テンプレートを表示

浄妙寺(じょうみょうじ)は、和歌山県有田市にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院山号醫王山本尊薬師如来である。山の中腹にある境内には、本堂(薬師堂)や多宝塔など中世の建築物が現存する。

歴史

[編集]

寺伝では大同元年(806年)、平城天皇の母藤原乙牟漏の発願により、鑑真の弟子の僧・如宝が創建したとされる[1]。なお、乙牟漏は延暦9年(790年)に没しており、寺伝の通りとしても、創建までには相当の年数を要したことになる。

天正13年(1585年豊臣秀吉の兵火を受け、山中にあった薬師堂(現在の本堂)と多宝塔を残して全ての堂宇を焼失した。以後長らく荒廃していたものを正保4年(1647年)に紀州藩初代藩主徳川頼宣が再興した[1]

文化財

[編集]

重要文化財(国指定)

[編集]
  • 本堂(薬師堂) - 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改造。1904年明治37年)8月29日重要文化財指定[2]
  • 多宝塔 - 三間、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改造。1904年(明治37年)8月29日重要文化財指定[3]
  • 木造薬師如来及び両脇侍像 - 鎌倉時代
  • 木造十二神将立像(12躯) - 鎌倉時代。12躯のうち6躯は1994年11月18日に盗難に遭っている[4]
  • 蓮華唐草文螺鈿須弥壇

和歌山県指定文化財

[編集]
  • 多宝塔内壁画(八相成道図、真言八祖像)

その他

[編集]
  • 方丈 - 江戸時代初期

交通アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、p.514
  2. ^ 文化遺産データベース 浄妙寺本堂(2016年9月24日閲覧)
  3. ^ 文化遺産データベース 浄妙寺多宝塔(2016年9月24日閲覧)
  4. ^ 和歌山県立博物館(2012年11月18日閲覧)

参考文献

[編集]
  • 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、平凡社、1983

関連項目

[編集]