洪性夏
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洪 性夏(ホン・ソンハ、朝鮮語: 홍성하、1898年1月15日 - 1978年[1])は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教授、政治家、サッカー組織幹部。制憲韓国国会議員[2]。政界では金融通として知られる[3]。
経歴
[編集]慶尚南道東萊(現・釜山広域市)または全羅南道光山出身。中央大学政治科もしくは経済科卒。日本統治時代は普成専門学校(現・高麗大学校)教授・評議員、京城第一プリント社経営者を務め、解放後は韓国民主党中央執行委員・中央常務委員・労農部長・青年部長、中央労働調整委員、非常国民会議代議員、大韓国民代表民主議院特別経済専門委員、民族統一総本部宣伝部長、過度政府立法議院議員などを務めた。李承晩が大統領に就任し、ソウル東大門甲選挙区の制憲国会議員に欠員が出た後に実施した1948年の補欠選挙で、韓国民主党の候補として国会議員に当選し、国会財経委員長・金融通貨委員長・財政金融委員長・税制分科委員長を務めた。1961年以降は社団法人国民経済研究会会長、税務会計研究会会長、外資導入審議委員会委員・金通運営委員・国有財産処分委員・糧肥交換審議委員会委員・対日請求権資金管理委員会委員、貯蓄推進中央委員会会長・顧問を歴任した[1][2][3]。
また、1949年より第8・10・11代大韓サッカー協会会長を務めた。うち第8代の任期は29日間だけで、史上最短の任期であった[4]。
賞勲
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 김석근, “홍성하 (洪性夏)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院) 2024年11月2日閲覧。
- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年11月1日閲覧。
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月1日閲覧。
- ^ “[SC 매거진] 축구협회장 선거 - 역대 회장 리스트”. 조선일보 (2008年11月10日). 2024年11月2日閲覧。