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津軽著教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
津軽著教
時代 江戸時代中期
生誕 享保6年(1721年
死没 延享2年1月15日1745年2月15日
改名 豊次郎(幼名)→著教
別名 通称:内記
幕府 江戸幕府旗本
主君 徳川吉宗
陸奥弘前藩世嗣
氏族 津軽氏
父母 父:津軽信寿
兄弟 信興、次男、三男、著教、五男、於染、
負正院寿法栄心、松平信清正室、女子3人
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津軽 著教(つがる あきのり)は、江戸時代中期の旗本通称は内記。

略歴

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陸奥国弘前藩5代藩主・津軽信寿の四男として誕生。幼名は豊次郎。

延享元年(1744年)4月28日、8代将軍・徳川吉宗御目見する。同年8月2日、弘前藩主・津軽信寧から3000俵が分与されて、寄合に所属した。また、偏諱を受けて著教と名乗った。しかし、翌年になって死去し、3000俵は本家へ返還された。

参考文献

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