津田知信
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長3年(1598年) |
死没 | 寛永21年9月17日(1644年10月17日) |
改名 | 左馬助、吉兵衛、太郎左衛門 |
戒名 | 本知院睡雲永祥 |
主君 | 豊臣秀頼→徳川家康→義直 |
藩 | 尾張藩藩士(御附属列衆) |
氏族 | 津田氏 |
父母 | 父:織田忠辰、母:村上頼勝娘 |
兄弟 | 信番、知信、宗元 |
妻 | 滝川忠征娘 |
子 | 信正、信之、女子 |
津田 知信(つだ とものぶ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士・尾張藩士。
略歴
[編集]織田藤左衛門家(小田井織田氏)の織田忠辰の次男として誕生。
豊臣秀頼に仕えた後、慶長17年(1612年)に徳川家康に駿府城で仕える。のち、尾張藩主徳川義直に附属となる(馬廻組)、石高1000石。
寛永21年(1644年)に病死した。享年47。子孫は尾張藩士として存続し、嫡子・信正が跡を継いだ。次男の信之は貫流槍術を開いた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『士林泝洄』
- 『藩士名寄』