津曲浩二
津曲浩二 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1955年4月10日(69歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
初免許年 | 1976年3月7日 |
免許区分 | 平地(初期には障害の免許も保持) |
騎手引退日 | 1991年7月21日(最終騎乗) |
通算勝利 | 1889戦142勝 |
津曲 浩二(つまがり こうじ、1955年4月10日 - )は、日本の元騎手。
兄の忠美と幸夫も元騎手で、柴田政見・政人・利秋に次ぐ中央競馬史上2組目の三兄弟ジョッキーであった[1]。
経歴
[編集]兄の幸夫がデビューした翌日[2]の1976年3月7日、中山第5競走障害5歳以上未勝利・ノースファイブ(11頭中10着)で初騎乗[3]を果たし、史上2組目の3兄弟ジョッキーとなった[1]。
1976年6月26日の中山第3競走4歳未勝利・メキシコフォンテン[4]で初勝利[5]を挙げ、夏の小倉では初の特別勝ちを含む3勝で、1年目の同年は5勝をマーク[6] [7]。
2年目の1977年には初の2桁となる10勝を挙げ、1979年まで3年連続2桁勝利を記録[7]。
1979年には安田記念でインターチャイムに騎乗し、ハンデ戦のゴール前で3頭が横一線に並んだ末[8]、同着ながら2着[9]に入った。
1981年には2年ぶりの2桁となる14勝を挙げるが、1982年からは1桁台に落ち着く[7]。
1986年には長野産馬ミネノカガヤキで大井の帝王賞[10]に騎乗し、新潟のセントエリアス[11]、地元のサンオーイに先着するも中央勢最下位の10着[12]に終わった。8月31日の函館第1競走3歳未勝利・ヨシノホマレで通算100勝[13]を挙げるが、同日には新潟で花松進も達成[14]している。
同年には5年ぶりの2桁で自己最多の22勝、1987年には2年連続で自身最後の2桁となる13勝をマークし[7]、1989年の牝馬東京タイムズ杯では11番人気のディアデータでルイジアナピットの3着[15]に入った。
1991年は3月24日の中山で第1競走4歳未出走・サンガイ→第2競走4歳未出走・ダービーローズと共に逃げ切りで連勝し自身最後の1日2勝、7月21日の札幌第1競走4歳未勝利・ミホブラウンが最後の勝利となり[16]、7月21日の札幌第5競走3歳新馬・カオリビューティー(6頭中6着)[17]を最後に現役を引退。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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計 | 142 | 153 | 154 | 1440 | 1889 | .075 | .170 |
- 主な騎乗馬
脚注
[編集]- ^ a b 平成初、3兄弟ジョッキー誕生へ 木幡と父子4人対決も(スポニチ)
- ^ 津曲幸夫のプロフィール | 騎手データ - netkeiba
- ^ 抽出[]|津曲浩二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 4歳未勝利|1976年6月26日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 津曲浩二のプロフィール | 騎手データ - netkeiba
- ^ 抽出[1976年度 1着レース]|津曲浩二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ a b c d 津曲浩二の年度別成績 | 騎手データ - netkeiba
- ^ 小林皓正『小林皓正の競馬ワンダーランド』1992年、コスモヒルズ、ISBN 4877038086、p129。
- ^ 安田記念|1979年6月10日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 日刊競馬で振り返るGI - 1986年帝王賞(トムカウント)
- ^ セントエリアス
- ^ 10R 帝王賞|1986年4月9日(水) 1回 大井 3日|JBISサーチ(JBIS-Search)
- ^ 抽出[通算 1着レース]|津曲浩二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 抽出[通算 1着レース]|花松進の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 牝馬東京タイムズ杯|1989年10月15日 | 競馬データベース - netkeiba
- ^ 抽出[通算 1着レース]|津曲浩二の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com
- ^ 津曲浩二の近走成績 | 騎手データ - netkeiba