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法光寺 (越谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
法光寺
所在地 埼玉県越谷市三野宮1336
位置 北緯35度56分13.7秒 東経139度45分35.4秒 / 北緯35.937139度 東経139.759833度 / 35.937139; 139.759833座標: 北緯35度56分13.7秒 東経139度45分35.4秒 / 北緯35.937139度 東経139.759833度 / 35.937139; 139.759833
山号 今日山
宗派 浄土真宗本願寺派
創建年 元和3年(1617年
開基 釋宗金
公式サイト 法光寺‐埼玉県越谷市‐写楽ゆかりのお寺
法人番号 1030005010172 ウィキデータを編集
法光寺の位置(埼玉県内)
法光寺
法光寺
法光寺 (埼玉県)
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法光寺(ほうこうじ)は、埼玉県越谷市にある浄土真宗本願寺派寺院。隣の光善寺も浄土真宗本願寺派の寺院である。

歴史

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1617年元和3年)、釋宗金の開基である。西本願寺の浅草御堂(後の築地本願寺)の一院としてたてられた。1657年明暦3年)の明暦の大火1923年大正12年)の関東大震災に遭ったが、その都度再建されている[1][2]

1988年昭和63年)にも火災に遭った。そして遂に築地本願寺から離れて、1993年平成5年)に越谷市の現在地に移転した[1][2]

写楽ゆかりの寺

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当寺は東洲斎写楽ゆかりの寺としても知られている。写楽は正体不明の謎の浮世絵師として知られている。江戸時代後期の考証家斎藤月岑が著した『増補浮世絵類考』には、写楽の本名は「斎藤十郎兵衛」で、徳島藩蜂須賀家のお抱え能役者であるとしている。しかし、この「斎藤十郎兵衛」自身が正体不明であったことから、当時の著名絵師の変名説が囁かれていた。1997年平成9年)に当寺の過去帳に「斎藤十郎兵衛」の記述があることが発見された。それによれば、斎藤十郎兵衛は確かに徳島藩の関係者であり、1820年文政3年)に58歳で没し、千住火葬されたこと、法名は「釈大乗院覚雲居士」で、十郎兵衛を含む斎藤家の菩提寺であった。この発見により、斎藤十郎兵衛の実在が証明された。これを記念して、当寺の境内に「写楽記念碑」が建てられている[1][3]

交通アクセス

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  • 路線バス千間台西四丁目停留所より徒歩9分。

脚注

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  1. ^ a b c インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年、96-97p
  2. ^ a b 法光寺を知る法光寺
  3. ^ 写楽と法光寺法光寺

参考文献

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  • インデックス編集部 編『訪ねてみたい埼玉のお寺』インデックス、2006年

外部リンク

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