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泉神社 (日立市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
泉神社

拝殿
所在地 茨城県日立市水木町2-22-1
位置 北緯36度31分6.79秒 東経140度37分29.67秒 / 北緯36.5185528度 東経140.6249083度 / 36.5185528; 140.6249083 (泉神社 (日立市))座標: 北緯36度31分6.79秒 東経140度37分29.67秒 / 北緯36.5185528度 東経140.6249083度 / 36.5185528; 140.6249083 (泉神社 (日立市))
主祭神 天速玉姫命
社格 式内社(小)論社
郷社
創建 不詳、一説に崇神天皇四九年
本殿の様式 流造
例祭 5月3日
主な神事 当屋祭 - 旧暦2月12-14日
日立のささら(茨城県指定無形民俗文化財)
地図
泉神社の位置(茨城県内)
泉神社
泉神社
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鳥居
参道

泉神社(いずみじんじゃ)は茨城県日立市にある神社である。『延喜式神名帳』の「天速玉姫命神社」に比定されており、境内にある湧泉は『常陸国風土記』に「密筑の里の大井」として記述がある。椎や松から成る境内の泉ヶ森は茨城県の史跡に指定されている。

祭神

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祭神は次の1柱[1]

  • 天速玉姫命(あまのはやたまひめのみこと[2]

『常陸二十八社考』によれば泉川・霊玉が神体とされる[3]

天速玉姫命は記紀には登場しない神である[1]。『茨城県神社誌』によれば、「天速玉姫命は天棚機姫命の女で、天太玉命の后神、天比理刀咩命とも云う」としている[1]。祭神名の「速玉」は清泉の美称であり、大井という湧泉が神格化されたものが本祭神と考えられている[4]。『日本三代実録』では「姫」の字がない「天速玉神」について言及があるが、『式内社調査報告』などでは天速玉姫命と同神と見なしてよいとしている[5]

歴史

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創建年代は不詳[1][4]崇神天皇49年に久自国造の船瀬宿禰による創建とする説もあるが[3]、船瀬宿禰は成務天皇の時代の者であり、後世の創作だと指摘されている[1]。境内の泉ヶ森は『常陸国風土記』久慈郡の条にある「密筑の里の大井」に比定され、泉神社は『延喜式神名帳』に記載されている「天速玉姫命神社」に比定される[1]。なお、『常陸国風土記』には泉神社に関する記述はない[5]

日本三代実録』によれば、天速玉神は866年(貞観8年)5月27日に正六位上から従五位下に昇階し、874年(貞観16年)12月29日には従五位下から従五位上に昇階している[6]。『延喜式神名帳』では常陸国久慈郡に「天速玉姫命神社」と記載され、小社に列せられている[1]。明治維新後は、明治6年(1873年)4月に近代社格制度において郷社に列せられた[1]

現存する棟札によれば、1530年(享禄3年)に佐竹義篤が社殿を修理し社号を泉大明神に改めたとされる[4]。永禄3年には佐竹義昭が社殿の葺替えをし、江戸期には水戸藩の保護下で寛延3年6月26日に造営が行われた[6]。その後、享和年間(1801-1804年)に社殿を焼失し、文化年間(1804-1818年)に再建した[4]。1960年(昭和35年)に再び社殿を焼失し、1961年(昭和36年)に仮社殿を建築した[4]。『常陸多賀郡史』によれば、消失前の社殿は本殿の間口九尺・奥行き八尺、拝殿は表四間三尺、奥行き二間三尺であったとされる[5]

境内

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本殿

境内の敷地は1185坪(3917平方メートル)、境外所有地は6655坪(2万2000平方メートル)[3]。1961年(昭和36年)に建てられた社殿は、本殿が鉄筋コンクリート製の流造で間口一間二尺・奥行き二間、拝殿は屋根がトタン葺入母屋造で間口三間三尺・奥行き三間である[5]

泉神社の境内一帯は泉ヶ森と呼ばれ、茨城県の史跡に指定されている[6]。椎や松などの常緑樹から構成される[4]。『常陸国風土記』久慈郡の条に「密筑の里の大井」とあるのが泉ヶ森とされる[2]。泉ヶ森北東部には、周長約40メートル、最大水深約2メートルの湧泉がある[4]。この泉はすり鉢のように池の中心に向かって急に深くなり、大小20余の泉穴がある[4]

境内社

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境内社は下記の通り[7]

  • 厳島神社 - 市寸島比売命
  • 三峯神社 - 伊弉藷神・伊弉冉神
  • 鷺杜神社 - 天玉柱屋姫命
  • 富士神社 - 木花開邪姫命
  • 豊稔神社 - 月讀命・大穴牟遅命
  • 稲荷神社 - 宇迦之御魂大神

祭事

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神輿殿
  • 元旦祭 - 1月1日[3]
  • 追儺祭 - 2月3日[3]
  • 春祭(祈年祭) - 2月11日[1]
  • 当屋祭 - 旧暦2月12-14日[4]
  • 例祭 - 5月3日[1]
  • 秋祭(新嘗祭) - 11月23日[1]

文化財

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県指定無形民俗文化財

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  • 日立のささら - 1963年(昭和38年)8月23日指定[8]

県指定史跡

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交通アクセス

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所在地
茨城県日立市水木町2-22-1[3]
交通
常磐線大甕駅の北東約1 kmの場所に鎮座[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『茨城の神社覚書I』、137-139頁。
  2. ^ a b 『茨城県大百科事典』、45-46頁。
  3. ^ a b c d e f 『茨城県神社誌』、188-191頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本歴史地名体系 8 茨城県の地名』、100-101頁。
  5. ^ a b c d 『式内社調査報告 第11巻 東海道6』、490-496頁。
  6. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、111-112頁。
  7. ^ 泉神社由緒”. 泉神社. 2015年7月13日閲覧。
  8. ^ a b 『茨城の神社覚書II』、228-230頁。

参考文献

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  • 茨城県神社誌編纂委員会 編『茨城県神社誌』茨城県神社庁、1973年。 
  • 式内社研究会 編『式内社調査報告 第11巻 東海道6』皇学館大学出版部、1976年。 
  • 『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年。 
  • 『日本歴史地名体系 8 茨城県の地名』平凡社、1982年。 
  • 『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店、1983年。 
  • 鎌田啓司『茨城の神社覚書I』1986年。 
  • 鎌田啓司『茨城の神社覚書II』1993年。 

外部リンク

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