コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

沼津東映シネマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沼津東映シネマ
Numazu Toei Cinema
沼津東映シネマ跡地に建設されたイーラde(2020年3月撮影)
情報
通称 沼津東映・東映パラス
沼津東映シネマ1・2
正式名称 沼津東映劇場
旧名称 沼津東海劇場
完成 1950年11月
開館 1958年12月29日
閉館 2002年9月13日
最終公演劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』(田﨑竜太監督)
忍風戦隊ハリケンジャー シュシュッと THE MOVIE』(渡辺勝也監督)
収容人員 (2スクリーン)759人
設備 DOLBY STEREO
35mm映写機
用途 映画上映
運営 東映株式会社
所在地 410-0801
静岡県沼津市添地町1
(現:同市大手町1丁目1-6、イーラdeの一部)
最寄駅 沼津駅
特記事項 略歴
1950年11月:沼津東海劇場として開業
1958年:沼津東映劇場・東映パラスに改称
1990年代前半頃:沼津東映シネマ1・2に改称
2002年:閉館
2008年:跡地にイーラdeが竣工
テンプレートを表示

沼津東映シネマ(ぬまづとうえいシネマ)は、かつて静岡県沼津市に所在した東映系の映画館である。

データ

[編集]
  • 所在地:静岡県沼津市添地町1
    現在の同市大手町1丁目1-6・イーラdeの一部。開業当時の同市城内添地町245
  • 観客定員数
    • スクリーン1:643席(東映劇場[1])→431席(シネマ1閉館時)
    • スクリーン2:600席(東映パラス[1])→328席(シネマ2閉館時)

略歴・概要

[編集]

1950年昭和25年)11月、国鉄(現JR沼津駅付近・当時の添地町1丁目方面に沼津東海劇場として設立・開業される[2]。東海劇場が開業するまでの沼津市の映画館は、第一劇場、沼津映画劇場、東宝銀星座、沼津セントラル劇場、沼津文化劇場の5館しかなく、第一劇場[注 1]以外はすべて終戦後の1946年(昭和21年)に開業したものであった[2]

1958年(昭和33年)、東海劇場が東映に事業譲渡されたのを機に、沼津東映劇場として12月29日に再開業[3]。1階に邦画の東映劇場・2階に洋画の東映パラスが入居し、同社通算51・52番目の映画館となった[3]。これに伴い、先述の東宝銀星座が沼津東海劇場の名称を引き継ぐも[4][5]、わずか11年後の1969年(昭和44年)頃に閉館している。

1970年代から1990年にかけては『トラック野郎』『仁義なき戦い』『仮面ライダー』『スーパー戦隊』『東映まんがまつり』などのシリーズ作品や、『風の谷のナウシカ』『魔女の宅急便』『天と地と』などのヒット作を多数上映。その後1990年代前半頃にスクリーン名を沼津東映シネマ1・2に統一したが、沼津駅前周辺の再開発に伴い2002年平成14年)9月13日をもって閉館[1][5][注 2]。東海劇場設立から52年に及ぶ歴史に幕を閉じた。

この6年後の2008年(平成20年)9月12日には静岡東映[注 3]、同年10月3日には浜松東映も相次いで閉館[注 4]しており、静岡県内から東映の直営館はすべて姿を消した。2022年令和4年)現在、沼津市内の東映系作品上映はシネマサンシャイン沼津(BiVi沼津内)とシネマサンシャインららぽーと沼津が引き継いでいる。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1936年10月開場[2]1964年ジョイランド沼津ボウルビルとして改築。2008年5月に閉鎖され跡地は駐車場となった。
  2. ^ 愛知県名古屋市にあった「名古屋東映」や、岐阜県岐阜市にあった「岐阜豊富東映」も同日に閉館している。
  3. ^ その後静活に譲渡され「静岡ピカデリーZERO」となったが、2011年9月25日をもって閉館。
  4. ^ その後同年12月5日ミニシアターシネマイーラ」となり現在に至る。

出典

[編集]
  1. ^ a b c 池谷俊一(写真家)「さらば映画の友よ『沼津東映』閉館に寂しさ」『静岡新聞』2002年7月19日
  2. ^ a b c 『全国映画館総覧 1955年版』時事通信社、1955年、78頁。「沼津市(6館)」 
  3. ^ a b 「神戸・沼津の四東映劇場開館」『東映社内報「とうえい」』1959年1月号、東映株式会社、1959年1月15日、8頁、2022年10月22日閲覧 
  4. ^ 『写真アルバム 沼津・三島の昭和』いき出版、2016年、75頁。 
  5. ^ a b 仙石規(監修)『沼津今昔写真帖』郷土出版社、2008年、94頁。