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荒処の沼入り梵天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沼入り梵天から転送)
荒処の沼入り梵天
別称・清水祭
梵天を突き刺す様子(2024年5月4日撮影)
種類 伝統行事
日程 5月4日
頻度 毎年
会場 厳嶋神社 弁財天沼
会場所在地 秋田県横手市平鹿町醍醐字荒処
座標 北緯39度16分57.5秒 東経140度31分40.9秒 / 北緯39.282639度 東経140.528028度 / 39.282639; 140.528028座標: 北緯39度16分57.5秒 東経140度31分40.9秒 / 北緯39.282639度 東経140.528028度 / 39.282639; 140.528028
開催国 日本の旗 日本
初回開催 江戸時代
主催
  • 沼入り梵天保存会
  • 厳嶋神社
  • 厳嶋神社氏子

荒処の沼入り梵天(あらところのぬまいりぼんでん[注 1])は、秋田県横手市平鹿町醍醐の荒処集落にて行われる伝統行事[6][7]。秋田県内各地で行われている梵天行事の一種だが、奉納する梵天を沼に突き立てるのが特徴的であり珍祭として知られる[6]

厄年や初婿を迎えた男10人前後が沼入りし[8]梵天と呼ばれる祭具を厳嶋神社の真下にある弁財天沼の中央部に突き立てる[9][7]。珍祭とも言われるが[6]、梵天は一本の棒に米俵を取り付け、頂点部に御幣、周りに注連縄をまわしたもので、梵天本来の姿をよく残している[7]

1983年昭和58年)12月16日に国の選択無形民俗文化財に選択された[1][10][11]

祭事

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祭日は旧暦3月17日であったが、後に(時期不明)5月1日へと改められた[8]。旧暦3月17日に開催していた頃は、旧暦3月16日が宵祭、当日が神輿渡御3月18日に梵天の沼入りが行われていたが、現在は当日の午前中は沼入り、午後は神輿渡御と同一日に統一して行っている[8]2023年の開催からは5月4日に改められた[2]

行事は沼入り梵天保存会、厳嶋神社とその氏子総代が主体となり、その下に年番制が置かれている[8]。年番制では集落を5つ分け、その1番~5番組が毎年交代しながら行事を担当する[8][12]。沼入りするのはこの1年で結婚した男、新しく家を建てた男や厄年の男女で、10人前後が集まる[8]。なお、老人や女性の場合は代人を立てることができる[8][11]2019年時点では5人の男衆が沼入りに参加している[3]

沼の中心部に梵天を運ぶ様子

祭事は当日の午前10時頃に始まり、厳嶋神社にて神職による祈祷が行われる[8][13]。その後、祭事で用いられる梵天と神輿が安置されている「お宿」と呼ばれる年番長の家[13][5]へ向かい、年番長や沼入りする者たちへお祓いを行う[14]。それが終わると一行はお宿を出て集落を練り歩き[3]、沼へと到着する[14]。沼の北畔では事前に紅白幕が貼られており、その中に祭壇が設けられている[14]。到着した一行は再度お祓いを受け[15]神酒を飲んだ後に幕脇から沼へと入っていく[14]。梵天を水面につけないようにして沼の中心部まで運び、支柱から四方に伸びた綱や体重を用いて沼の中に梵天を突き立てる[16]。午前中の一連の行事はこれで終了し、午後からは神輿俵を厳嶋神社へと奉納する[16]

歴史

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元和元年(1615年)、佐竹氏の家臣であり常陸国から国替りで秋田にやって来た羽黒足軽衆が、俸給として荒処村の荒蕪地を充てがわれ、そこを水田として開墾した際に弁財天堂(後に神仏分離令により厳嶋神社と改称)に願を掛け、直配の沼であった弁財天沼を灌漑用水としたことを契機に行事が始まった[6]。水田開拓をした羽黒足軽衆は「野御扶持衆」と呼ばれるようになり[6]、彼らが荒処村から横手町へと移住した先では「野御扶持町」という町名が起こっているが、1965年住居表示によって上内町となり消滅した[17]

1983年(昭和58年)12月16日に国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に指定[1][10][11]1988年(昭和63年)8月19日に秋田県指定無形民俗文化財に指定されている[18]

脚注

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注釈

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  1. ^ 国の選択無形民俗文化財への登録名は「荒処の沼入り梵天行事(あらところのぬまいりぼんんぎょうじ)」であるが[1]、市の公式サイト[2]や各報道機関[3][4]、文献[5][6]では「ぼんでん」の読みを用いているため、ここでは「ぼんん」と読むことにする。

出典

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  1. ^ a b c 国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2024年5月15日閲覧。
  2. ^ a b (春)沼入りぼんでん”. 四季の祭り・民俗行事. 横手市 (2023年4月21日). 2024年5月15日閲覧。
  3. ^ a b c 節目の男衆、五穀豊穣願う 横手市平鹿町で沼入りぼんでん”. 秋田魁新報社. 2020年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月15日閲覧。
  4. ^ 横手市で沼入りぼんでん”. 日本放送協会 (NHK). 2024年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年5月15日閲覧。
  5. ^ a b 秋田県教育 2014, p. 49.
  6. ^ a b c d e f 稲 1990, p. 148.
  7. ^ a b c 高橋 & 須藤 1992, p. 78.
  8. ^ a b c d e f g h 稲 1990, p. 150.
  9. ^ 稲 1990, pp. 154–155.
  10. ^ a b 稲 1990, p. 156.
  11. ^ a b c 平鹿町史編纂 1984, p. 1169.
  12. ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1167.
  13. ^ a b 稲 1990, p. 152.
  14. ^ a b c d 稲 1990, p. 154.
  15. ^ 平鹿町史編纂 1984, p. 1168.
  16. ^ a b 稲 1990, p. 155.
  17. ^ 野御扶持町(近世~近代)”. 角川日本地名大辞典(旧地名編). JLogos. 2024年5月16日閲覧。
  18. ^ 県内の国・県指定等文化財一覧(民俗 無形民俗文化財)”. 美の国あきたネット. 秋田県 (2020年5月1日). 2024年5月17日閲覧。

関連項目

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参考文献

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  • 平鹿町史編纂委員会『平鹿町史』平鹿町、1984年。 
  • 稲雄次『カマクラとボンデン』秋田文化出版社、1990年。 
  • 高橋秀雄、須藤功『祭礼行事 秋田県』桜楓社、1992年。 
  • 秋田県教育委員会 編『秋田の祭り・行事』(改訂版)秋田文化出版、2014年。ISBN 978-4-87022-556-5 

外部リンク

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