河野徹志
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河野 徹志(こうの てつし、元治2年1月4日[1](1865年1月30日) - 昭和15年(1940年)10月23日[2])は、日本の衆議院議員(正交倶楽部)。産婦人科医、小児科医。
経歴
[編集]薩摩国薩摩郡高江村(現在の鹿児島県薩摩川内市)出身。1885年(明治18年)、大阪医学校(現在の大阪大学医学部)を卒業し、東京慈恵医院において高木兼寛・実吉安純のもと実地経験を積んだ[1]。1891年(明治24年)、渡米してペンシルベニア大学に入学し、卒業の後医学博士の学位を得た[1]。その後、ジョンズ・ホプキンス大学で学び、さらにオーストリアのウィーン大学でも学んだ[1]。帰国後は大阪医学校助教諭や吉田病院副院長を務めた[3]。1899年(明治32年)に河野病院を開業し、1912年(大正元年)には大阪市医師会議長に就任した[1]。
大阪市会議員を経て、1917年(大正6年)の第13回衆議院議員総選挙で当選を果たした。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 『衆議院要覧 下巻 大正六年十一月』衆議院事務局、1917年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。