高田城 (尾張国)
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高田城 (愛知県) | |
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神明社にある石碑 | |
別名 | 河田城 |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 羽柴秀吉 |
築城年 | 1584年(天正12年) |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 石碑 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 県遺跡番号02Y003(河田城)[2] |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯35度21分18.7秒 東経136度49分55.0秒 / 北緯35.355194度 東経136.831944度座標: 北緯35度21分18.7秒 東経136度49分55.0秒 / 北緯35.355194度 東経136.831944度 |
地図 |
高田城(こうだじょう)は、愛知県一宮市浅井町河田字神明社にあった戦国時代の日本の城。現在は「河田城(こうだじょう)」と表記される事が一般的である[2]。
概要
[編集]1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いの際、羽柴秀吉が織田・徳川連合軍と戦う為に構えた城である。戦いの後も秀吉側の城として存続したという。廃城時期は不明。
城跡は残っていたが、1963年(昭和38年)の木曽川の改修工事の為、その形跡は無くなってしまった。すこしはずれた場所に石碑がある。
地名の河田は「こうだ」と読み、元々は尾張国河田村であるが、安土桃山時代の1585年(天正13年)におきた木曽川の洪水により村が川で分断。豊臣秀吉により、新たな川を尾張国と美濃国の境としたため、二つの村になった。分断後も尾張国、美濃国のどちらも河田村を名乗った。高田城は尾張国側になる。
尾張国側は、葉栗郡河田村となり、葉栗郡浅井町に合併後、一宮市浅井町河田となり、現在に至る。
美濃国側は、羽栗郡河田村となり、羽栗郡川島村に合併後、羽島郡川島村を経て羽島郡川島町になる。現在は各務原市川島河田町となっている。
脚注
[編集]- ^ 「一宮市内の文化財」一宮市公式HP
- ^ a b 「愛知県文化財マップ(埋蔵文化財・記念物)」(マップあいち)愛知県公式HP