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河東獅吼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

河東獅吼(かとうしこう)は、成語であり、が怖いことを意味してる。蘇軾の「寄呉徳仁兼簡陳季常詩」が出典である。

典故

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北宋 蘇軾「寄呉徳仁兼簡陳季常詩」

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東坡先生無一銭、十年家火燒凡鉛。

黄金可成河可塞、只有霜鬢無由玄。

龍丘居士亦可憐、談空説有夜不眠。

忽聞河東獅子吼、拄杖落手心茫然。

誰似濮陽公子賢、飲酒食肉自得仙。

平生寓物不留物、在家学得忘家禅。

門前罷亜十頃田、清溪繞屋花連天。

溪堂醉臥呼不醒、落花如雪春風顛。

我遊蘭溪訪清泉、已辦布襪青行纏。

稽山不是無賀老、我自興盡回酒船。

恨君不識顔平原、恨我不識元魯山。

銅駝陌上会相見、握手一笑三千年。

南宋 洪邁容斎三筆』卷三 陳季常

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好賓客、喜畜聲妓、然其妻柳氏絶凶妒、故東坡有詩云:「龍丘居士亦可憐、談空説有夜不眠。忽聞河東獅子吼、拄杖落手心茫然。」

また、ある手紙に、

「一絶乞秀英君。」

と書いてあるが、これは、その妻の別名と思われる。

黄庭堅元祐の時に陳慥(陳季常)と語って、

「審柳夫人時須醫薬、今已安平否?公暮年來想漸求清浄之楽、姫媵無新進矣、柳夫人比何所念以致疾邪?」

と言っている。

また、別の書に 「承諭老境情味、法當如此、所苦既不妨遊観山川、自可損薬石、調護起居飲食而已。河東夫人亦能哀憐老大、一任放不解事邪?」

と書いている。

梁章鉅浪跡叢談』卷六 陳季常

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南戲有《跪池》一齣、北戲更演為變羊一事、尤為誕妄絶倫、但其事亦有所本、而皆以為陳季常、則不可不辨耳。《藝文類聚》載、京邑士人婦大妒、常以長繩系夫足、喚便牽繩、士密與巫嫗謀、因婦睡、士以繩系羊、縁牆走避、婦覺牽繩而羊至、大驚、召問巫、巫曰:「先人怪娘積惡、故郎君變羊、能悔、可祈請。」婦因抱羊痛哭悔誓、巫乃令七日齋、舉家大小、悉詣神前祷祝、士徐徐還婦見、泣曰:「多日作羊、不辛苦耶?」士曰:「猶憶啖草不美。」婦愈悲哀、後略復妒、士即伏地作羊鳴、婦驚起、永謝不敢。

在閣知新録』には、「世以妒婦比獅子」とあり、これは、『続文献』には、

称獅子日食醋・酪各一瓶、吃醋之説

はこの本から始まるとある。

解析

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蘇軾は「寄呉徳仁兼簡陳季常詩」の中で、友人の陳慥(陳季常)が、仏教の理解が深いとはいえ、妻の獅子(ライオン)のように吠えるのを聞いて、呆然とし、もっている杖を落とす様子をからかっている。

後の時代に記された『容斎三筆』の中で、他の人の言葉を引用している。

更に後の清代には、「次公」と言う人が陳季常の妻柳氏を評して、

「季常妻柳氏、最悍妒、毎季常設客、有聲妓、柳氏則以杖撃照壁大呼、客至為散去、故因詩戲之。」

と記している。

蘇軾の詩の中では、「(龍丘居士)拄杖落手心茫然」と書かれているのが、淸代の『浪跡叢談』では、「季常妻柳氏、最悍妒、毎季常設客、有聲妓、柳氏則以杖撃照壁大呼、客至為散去、故因詩戲之。」となっている。

映画・テレビドラマ

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参考資料

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