沖の島 (愛媛県)
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沖の島 | |
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沖の島の空中写真。右下の島は竹ヶ島。 2019年10月5日撮影。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 | |
所在地 | 日本(愛媛県) |
所在海域 | 宇和海 (豊後水道) |
座標 | 北緯33度11分19秒 東経132度16分06秒 / 北緯33.18861度 東経132.26833度座標: 北緯33度11分19秒 東経132度16分06秒 / 北緯33.18861度 東経132.26833度 |
面積 | 0.18 km² |
最高標高 | 71 m |
プロジェクト 地形 |
沖の島(おきのしま)とは、愛媛県宇和島市にある無人島。宇和島市の沖合い、日振島の約600m沖合いに位置する。面積0.18km2の小島。「沖ノ島」と表記するものもあるが、本記事では国土地理院の地形図の表記に従い、「沖の島」と表記する。
概要
[編集]最高標高70mでアコウ樹等が自生しており、周囲には砂洲が広がっている。島のすぐ東には同様の無人島である竹ヶ島がある。島の東部の砂洲にはハマユウが群生し、愛媛県指定の天然記念物となっている[1]。一時は害虫により壊滅的な打撃を被っていたが、地元中学生の世話等により、よみがえっている。
太平洋戦争の前頃には、日振島の北部、能登集落の漁民がテングサ等を採取する共有地であった。現在でも、周囲は好漁場である。1977年(昭和52年)に南岸に桟橋が設置されているが定期航路等はない。 1949年(昭和24年)のデラ台風による106名の犠牲者[2]を追悼するための日振島遭難者慰霊碑[3]が、1962年(昭和37年)に遭難の現場に最も近いこの島に建てられた。
歴史
[編集]- 1889年12月15日 - 町村制度施行により発足した北宇和郡日振島村に属す(#外部リンク歴史的行政区域参照)。
- 1949年 6月20日 - デラ台風により愛媛県・鹿児島県を中心に死者行方不明併せて468名の大惨事[4]。そのうち、宇和海での漁業従事者の死者行方不明211名[5]。
- 1958年4月1日 - 合併により発足した宇和海村となる。
- 1974年4月1日 - 宇和海村が宇和島市に編入される。
脚注
[編集]- ^ 県指定天然記念物 ハマユウ (PDF) 愛媛県教育委員会文化財保護課
- ^ 県指定 ハマユウ宇和島市 天然記念物
- ^ 昭和24年のデラ台風 - 四国災害アーカイブス
- ^ 消防年表 - 総務省消防庁
- ^ 愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行) - データベース『えひめの記憶』
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 沖の島 - 国土地理院地図
- 愛媛県北宇和郡日振島村 (38B0130027) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ
- 愛媛県北宇和郡宇和海村 (38487A1968) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ
- 県指定 ハマユウ宇和島市 天然記念物 - 沖の島についての概説