池田矼
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池田矼 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 沖縄県宮古島市 |
交差物件 | 崎田川 |
座標 | 北緯24度45分11.7秒 東経125度17分7.8秒 / 北緯24.753250度 東経125.285500度 |
構造諸元 | |
形式 | アーチ |
材料 | 石灰岩 |
全長 | 10m |
幅 | 3m強 |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
池田矼(いけだばし)は、沖縄県宮古島市(旧下地町)の崎田川に架かるアーチ橋である。1977年7月1日に沖縄県の史跡に指定されており[1]、日本百名橋の番外のひとつでもある。池田橋とも表記される[2]。
概要
[編集]琉球石灰岩をアーチ型に積み上げて造った石灰岩アーチ橋で、先島諸島ではその唯一の例である。すぐそばに国道390号の崎田橋がある[1]。
歴史
[編集]忠導氏や河充氏正統の家譜によると、明朝の正徳年間(1506年-1521年)に、仲宗根豊見親の命により、平良と下地の間にあった湿地帯の通行の難渋を解消するために、平良から洲鎌、上地、与那覇に通じる道の一部である下地矼道(しもじばすうんつ)とともに造られたとされる。ただし、これらの家譜が整備されたのは、橋が架けられたとされる正徳年間から約200年後の18世紀中頃である。
この年代に間違いがなければ池田矼は現存する日本最古の石橋であるとする資料もあるが[2]、那覇市にある末吉宮磴道橋(川ではなく通路上に架かる跨道橋である。)は1456年、同じく那覇市にある天女橋、龍淵橋は1502年に架橋されており[3]、池田矼の架橋はこれらよりも後である。
『雍正日記』には「池田矼、南北長20間、横3間、高サ9尺5寸村北ノ潟陸原ニアリ」と池田矼の記述があることから、遅くとも1727年(雍正5年)には存在していた。また、『宮古島在番記』には、1817年(嘉慶22年)に下地矼道とともに修復したという記述がある[1]。
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池田矼
脚注
[編集]- ^ a b c 文化財・市史 県関係 県指定史跡「下地町(しもじちょう)の池田矼(いけだばし)」 宮古島市
- ^ a b 仲宗根將二「歴史に学ぶ土木事業 シリーズ13 ~琉球の時代~ 池田矼(橋)」(PDF)『しまたてぃ』第25号、沖縄しまたて協会、2003年4月、38-40頁、 オリジナルの2015年9月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 近世以前の土木・産業遺産 沖縄県 (PDF) 岡山大学大学院教授 馬場俊介
参考文献
[編集]- 松村博『日本百名橋』鹿島出版会
- 現地の紹介看板
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 【県指定:史跡】下地町の池田矼〜しもじちょうのいけだばし〜 宮古島アプリ 綾道(宮古島市教育委員会)