池田泰親
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池田 泰親(いけだ やすちか、1873年(明治6年)5月10日[1] – 1943年(昭和18年)10月15日[2])は、衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)。
経歴
[編集]熊本県天草郡富岡町(現在の苓北町)に桜井勝九郎の三男として生まれ、池田泰之の養子となった[3]。1901年(明治34年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、一年志願兵として陸軍歩兵少尉となった[3]。御領村長、同村会議員、天草郡会議員、同参事会員、熊本県会議員を歴任し[2]、九州実業新聞社社長、九州新聞社副社長を務めた[3]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
その他大谷石材株式会社社長、中国稲荷山鋼索鉄道株式会社社長、苓州銀行取締役を務めた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。