大慈恩寺 (成田市)
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(池光院から転送)
大慈恩寺 | |
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大慈恩寺本堂 | |
所在地 | 千葉県成田市吉岡183-1 |
山号 | 雲富山 |
院号 | 池光院 |
宗旨 | 新義真言宗 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 釋迦如來 |
創建年 | 761年(天平宝字5年) |
開山 | 鑑真 |
中興年 | 鎌倉時代後期 |
中興 | 大須賀氏 |
正式名 | 雲富山池光院大慈恩寺 |
法人番号 | 6040005006859 |
大慈恩寺(だいじおんじ)は、千葉県成田市吉岡にある真言宗智山派の寺院。山号は雲富山。院号は池光院。本尊は釈迦如来。
由緒
[編集]761年(天平宝字5年)鑑真によって創建されたと伝えられ、当初は慈恩寺と称していた。鎌倉時代後期、千葉氏の一族である大須賀氏により中興され、以降大須賀氏に尊崇された。室町時代初期の1341年(暦応4年)、足利直義が安国寺利生塔を建立した[1]。1391年(明徳2年)後小松天皇から「大」の一字を賜わり慈恩寺から大慈恩寺と改められた。同年鎌倉公方足利氏満から武蔵六郷保大森郷を寄進される[2]。応永11年(1404年)江戸蒲田氏により寺領を横領されたため[3]、足利満兼から安堵を受ける[4]。応永24年(1417年)金井氏の乱入を受け武蔵守護代長尾忠政の安堵を受け[5]、応永33年(1426年)下総守護千葉兼胤の[6]、永享2年(1430年)兼胤の子千葉胤直の安堵を受けた[7]。
江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられていた。足利直義が建立した利生塔を元禄16年(1703年)に再建した。1902年(明治35年)に暴風により倒壊、現在は礎石のみ残存し、成田市の史跡に指定されている。
文化財
[編集]-
山門
-
利生塔礎石群
(成田市指定史跡) -
板碑
(成田市指定文化財) -
鐘楼
(梵鐘は千葉県指定有形文化財)
所在地
[編集]脚注
[編集]- ^ 『大日本史料』第6編6冊780頁。「大慈恩寺文書」
- ^ 『史料総覧』第6編907冊204頁。「大慈恩寺文書」
- ^ 『大日本史料』第7編6冊791頁。「大慈恩寺文書」
- ^ 『大日本史料』第7編7冊365頁。「大慈恩寺文書」
- ^ 『大日本史料』第7編27冊249頁。「大慈恩寺文書」
- ^ 『史料総覧』第7編907冊528頁。「大慈恩寺文書」
- ^ 『史料総覧』第7編907冊694頁。「大慈恩寺文書」
参考文献
[編集]- 東京大学史料編纂所大日本史料データベース