江戸長門
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 忠重、憲寛、江戸太郎 |
墓所 | 東京都世田谷区 慶元寺 |
官位 | 従五位下、遠江守、修理亮 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 足利尊氏→基氏 |
氏族 | 武蔵江戸氏 |
父母 | 父:江戸泰重、母:いと(一井貞政姉) |
兄弟 | 長門、長重 |
子 | 高重、正長、蒲田重道 |
江戸 長門(えど ながかど)は、南北朝時代の武将。足利氏の家臣。武蔵江戸氏12代当主。
出自
[編集]略歴
[編集]武蔵江戸氏11代当主・江戸泰重と新田氏の庶流である堀口氏の娘・いと(一井貞政の姉)との間に生まれる。
長門は北朝方の足利尊氏に従って戦った。正平7年/文和元年(1352年)、鎌倉を出た足利尊氏の下に参陣し、2月19日には尊氏と共に谷口に布陣移動、同月20日に南朝方の新田義興・義宗の軍勢と遭遇し人見原で合戦となった。その後、一族の江戸下野守、江戸修理亮らと共に尊氏の久米川の陣にも参陣している。
家督は長男・高重が継いだ。次男・正長(蔵人入道希全)の子・忠武(四郎入道道儀)が蒲田氏を称したほか、三男・重道(入道道貞)も蒲田入道と称している。
出典
[編集]- 江戸氏の研究 関東武士研究叢書〈第1巻〉 萩原竜夫著
- 荒川区史
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