永田松窓
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永田 松窓(ながた しょうそう、天保4年(1833年) - 明治7年(1874年)6月)は江戸時代後期の儒学者、教育者。名は経正。字(あざな)は可定。通称は慎七郎[1]。松窓はその号[2]。
経歴
[編集]福岡藩藩士として筑前国に生まれる[1]。成童(15歳以上の少年)の頃、既に四書五経に通じ、藩校修猷館の教員に補せられ、家塾を伊崎に開く[2]。
嘉永年間(1848年–1855年)、江戸に行き、安積艮斎、林家の門に学ぶ[1]。安政2年(1855年)に帰藩。慶応3年(1867年)特選により京都に赴き、列藩の名士と交流する[2]。
明治元年(1868年)戊辰戦争に従軍し、後に参政所副議長、ついで藩校修猷館の訓導となった[1]。