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永富雄吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永富 雄吉(ながとみ ゆうきち、慶應4年5月21日1868年7月10日) - 昭和4年(1929年1月20日)は、明治大正期の日本海事実業家高等商業学校(現・一橋大学)講師などを経て、日本郵船副社長を務めた。

人物・経歴

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遠江国横須賀藩に生まれる[1][2][3]安房国花房藩横渚出身[4]。高等商業学校(現・一橋大学)本科第二年生だった1889年から、村瀬春雄とともにアントワープ商業大学(Institut supérieur de commerce d'Anvers:現・アントウェルペン大学英語版)に留学し[3][5][6]リサンシェフランス語版学士)を取得して卒業後[4]、1894年に帰国し[2]、高等商業学校講師となった[3][2]。1895年に日本郵船に入社した[2]。会計課助役、会計課長、取締役主計部長[2]、理事等を経て、1921年から副社長を務めた[7][8]。その後、肺気腫に罹り1929年に死去した[4]

親族

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父は花房藩士永富謙八[4]。妻のミチは野澤武之助衆議院議員の妹。長男永富謙一浜松高等工業学校(現・静岡大学)教授を務めた工学者で、その妻愛子は公爵伊藤博邦の二女。三女八代子は帝国劇場社長等を歴任した秦豊吉の妻[9]。保険学者の村瀬春雄は妹の夫[10]

脚注

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  1. ^ 大日本実業家名鑑 上巻』実業之世界社、1919年(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ a b c d e 中外商業新報社(編)『財界双六 : 戦線上の実業家』中外商業新報社、1919年(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b c 永富雄吉」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E5%AF%8C%E9%9B%84%E5%90%89コトバンクより2024年3月19日閲覧 
  4. ^ a b c d 会員追悼録』日本工業倶楽部、1934年、p.102(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 東京高等商業学校同窓会々員録』東京高等商業学校同窓会、1911年、p.60(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 一橋大学年譜明治八年八月一昭和二一年三月 - 一橋大学
  7. ^ 日本郵船株式会社五十年史』日本郵船、1935年、p.740(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 永富 雄吉」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B8%E5%AF%8C%20%E9%9B%84%E5%90%89コトバンクより2024年3月19日閲覧 
  9. ^ 永富雄吉 - 『人事興信録』第8版、1928年(リンク先は名古屋大学大学院法学研究科『人事興信録』データベース)
  10. ^ 『人事興信録 第4版』む23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月20日閲覧。