永井直進
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦11年(1761年) |
死没 | 文化12年2月2日(1815年3月12日) |
改名 | 虎之介(幼名)、直進 |
戒名 | 瑞林宗雲法心院 |
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺清光院 |
官位 | 従五位下、日向守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 摂津高槻藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 | 父:永井直珍、母:本多康桓の娘 |
兄弟 | 直進、本多忠昶 |
妻 | 正室:松平信礼の娘・喜鶴 |
子 | 直与、直成、伊奈忠敬、堀田正義、植村泰成、中川忠愛、直和、娘(藤堂高兌正室)、娘(六郷政純正室)、娘(伊沢政常室)、娘(大岡直泰養女)、娘(松平正路正室)、娘(榊原忠起室)、(佐藤乱之助室)、娘(太田雅和室)、娘(佐橋佳為室)、娘(畠山義宣継室) |
略歴
[編集]宝暦11年(1761年)、第8代藩主・永井直珍の長男として生まれる。明和8年(1771年)1月16日、家督を相続した。
安永7年(1778年)12月16日、従五位下日向守に叙任した。寛政元年(1789年)8月14日、摂津・河内両国内の幕領1万4000石を預かる。以降、預かる幕領は増加していく。
寛政4年(1792年)4月23日、京都火消役を命じられる。寛政12年(1800年)5月13日、京都火消役を命じられる。享和2年(1802年)12月1日、京都火消役を命じられる。文化6年(1809年)8月23日、隠居して長男の直与に家督を譲る。隠居にともない、通称を右京亮に改める。文化12年(1815年)2月2日、死去する。享年55。