氷上砦
氷上砦(ひかみとりで)は、愛知県名古屋市緑区大高町にあったとされる砦。織田信長によって築かれたとみなされるが、実在を裏づける史料や遺構はきわめて少ない。
概要
[編集]『尾州知多郡大高古城図』や『張州雑志』は、大高城(北緯35度3分51.9秒 東経136度56分11.1秒 / 北緯35.064417度 東経136.936417度)から西南へ9 - 10町の付近に砦があったことを記している[1]。榊原邦彦は永禄年間(1558年 - 1570年)初頭に織田信長が築いた砦ではないかとしており[2]、これを氷上砦(ひかみとりで)[3]あるいは氷上山砦(ひかみやまとりで)[4]という。
今川方が詰める大高城を牽制するために周辺に築かれた砦としては丸根砦や鷲津砦(共に国の史跡[注 1])が知られるが[5]、氷上砦は『信長公記』やほかの著名な戦史には登場せず[4]、上記のような限られた史料のみで確認しうるだけである[3]。しかし榊原は、大高城を包囲するには北側(丸根砦・鷲津砦)だけでなく南側にも砦が必要であったはずとし、氷上砦や正光寺砦[注 2]の存在意義を説いている。その上で榊原は、『尾州知多郡大高古城図』や『張州雑志』にある大高城からの距離の記述[注 3]から想定するに、氷上砦の所在地は、氷上姉子神社(北緯35度3分41.33秒 東経136度55分48.96秒 / 北緯35.0614806度 東経136.9302667度)の西にある境内地「火上山」中腹あるいは火上山西方の字取手山(北緯35度3分37.7秒 東経136度55分32秒 / 北緯35.060472度 東経136.92556度)付近ではないかとしている。現在、痕跡はほとんど確認しえないが、かつて土塁のような遺構がみられたともいう[2]。
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 両砦は国の史跡「大高城跡」の「附」(つけたり)として指定。
- ^ 正光寺砦は氷上砦と同様、『尾州知多郡大高古城図』や『張州雑志』などに記載があるのみで、その痕跡は現在に至るまで確認されていない[3]。おおよその所在地は名古屋市緑区大高町字北横峯付近(北緯35度3分35.5秒 東経136度56分16.9秒 / 北緯35.059861度 東経136.938028度)とみられ、近在には字東正光寺・西正光寺・正光寺峡(いずれも大高町)といった地名が残っている[4]。
- ^ 「氷上山取出本城ヨリ十町」(『尾州知多郡大高古城図』)、「氷上ノ砦村ノ西南九町計ニ在」(『張州雑志』)。
- 出典
参考文献
[編集]- 太田牛一(桑田忠親校注) 『改訂 信長公記』 新人物往来社、1965年(昭和40年)4月30日 ISBN 4404007094
- 榊原清彦(編) 『奈留美 第十三号』 鳴海土風会、1983年(昭和58年)1月13日
- 豊明市史編集委員会 『豊明市史 資料編補二 桶狭間の戦い』 豊明市、2002年(平成14年)3月31日
- 榊原邦彥 『緑区の史蹟』 鳴海土風会、2000年(平成12年)10月