水野忠宝
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水野 忠宝(みずの ただとみ、文久2年3月17日(1862年4月15日) - 明治41年(1908年)1月28日[1])は、明治時代の華族(子爵)。忠位系水野家7代。鶴牧藩第4代藩主・水野忠順の養嗣子。子爵。正室は松平乗承の妹の鉋子。子に忠陽、豊子。
生涯
[編集]肥後新田藩主細川利永の子として江戸に生まれる。初名は利光(通称、主計)といった。明治9年(1876年)9月に忠順の養子となり同年11月従五位に叙せられた。明治17年(1884年)7月忠宝と改名した。明治18年1月に家督を相続。明治25年(1892年)7月従四位、明治30年(1897年)7月正四位に叙せられた。
脚注
[編集]- ^ 『国民過去帳 明治之巻』(尚古房、1935年)p.1057
参考文献
[編集]- 人事興信録 初版
日本の爵位 | ||
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先代 水野忠順 |
子爵 (鶴牧)水野家初代 1908年 |
次代 水野忠陽 |