コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

水津一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水津 一朗
人物情報
生誕 1923年1月1日
日本の旗 日本 山口県山口市
死没 (1996-04-08) 1996年4月8日(73歳没)
日本の旗 日本 京都府城陽市
国籍 日本の旗 日本
出身校 旧制山口高等学校
京都帝国大学文学部史学科
学問
活動地域 大阪市立大学
京都大学
奈良大学
研究分野 人文地理学
研究機関 京都大学
学位 地理学者
称号 京都大学名誉教授
特筆すべき概念 位相地理学の提唱
学会 日本学術会議
人文地理学会
主な受賞歴 従三位
勲二等瑞宝章
テンプレートを表示

水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 1996年4月8日)は、日本の地理学者人文地理学を専攻。伝統的地理学と計量革命後の計量地理学の止揚を目指し、「位相地理学」を提唱した[1]学位は、文学博士京都大学論文博士・1971年)。京都大学名誉教授。奈良大学元学長。

経歴・人物

[編集]

1923年山口県山口市生まれ。山口県立山口中学校(山口県立山口高等学校の前身)、旧制山口高等学校(現・山口大学)文科甲類卒業、1942年10月に京都帝国大学文学部史学科に進学するも、学徒出陣により兵役に従う[1]。後に復員、復学。1946年9月に同大学を卒業。その後は特別研究生として大学院に進学[2]

1952年大阪市立大学講師、同大学助教授を経て、1959年に京都大学文学部助教授に就任[2](1966年から1967年まで、在外研究でヨーロッパに赴き、ドイツスウェーデンに滞在[2])。1971年3月、「社会集団の生活空間 : その社会地理学的研究」で京都大学より文学博士の学位を取得[3]。1971年11月、同大学教授[2]

当初、京都大学内に事務局を置いていた人文地理学会では、1976年-1980年、会長を2期務め、その後、再任。1984年-1986年同会長[2]。1981年〜1983年、同大学文学部長[2]。1985年-1991年日本学術会議会員(2期)[1][2]

1986年に同大学を定年退官、名誉教授となる。奈良大学教授に就任[2]。1988年〜1994年、同大学学長を務めた[4]

晩年

[編集]

京都大学に勤務していた時期以来、永く京都府宇治市に住んでいた[2][4]。奈良大学学長退任後は、他のすべての公職から退いた上で、砺波散村地域研究所所長となった[2]。1996年4月8日、京都府城陽市の病院で死去[4]。没後に、従三位勲二等瑞宝章が追贈された[5]

書籍

[編集]

単著

[編集]
  • 『社会地理学の基本問題 地域科学への試論』大明堂、1964
  • 『社会集団の生活空間 その社会地理学的研究』大明堂、1969
  • 『石の文化・木の文化 ヨーロッパ文化の地理学』古今書院、1969
  • 『地域の論理 世界と国家と地方』古今書院、1972
  • 『リージョナル・ブックス5: ヨーロッパ文化の地理学』古今書院、1973
  • 『近代地理学の開拓者たち ドイツのばあい』地人書房、1974
    • のち改題:近代地理学の開拓者たち、1984
  • 『ヨーロッパ村落研究』地人書房、1976
  • 『地域の構造 行動空間の表層と深層』大明堂、1982
  • 『景観の深層』地人書房、1987
  • 『甦る地理の思想』地人書房、1995

共編著

[編集]

出典・脚注

[編集]
  1. ^ a b c 野澤秀樹書評・紹介等 紙碑 水津一朗先生の逝去を悼む」『地理学評論 Ser.A』第69巻第11号、1996年11月1日、916頁、2012年8月15日閲覧 
  2. ^ a b c d e f g h i j 金田章裕水津一朗先生の御逝去を悼んで」『人文地理』第48巻第5号、1996年、424-426頁、doi:10.4200/jjhg1948.48.4242012年8月15日閲覧 
  3. ^ 水津一朗「社会集団の生活空間 : その社会地理学的研究」『博士論文 論文博第62号』、京都大学、1971年、2012年8月15日閲覧 
  4. ^ a b c “水津一朗氏死去”. 朝日新聞(朝刊): p. 27. (1996年4月9日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ “叙位叙勲(26日)”. 朝日新聞(朝刊・京都). (1996年4月27日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧

関連文献

[編集]
  • 人文地理学の視圏、水津一朗先生退官記念事業会編、大明堂、1986
先代
谷岡武雄
浮田典良
人文地理学会会長
1976年 - 1980年
1984年 - 1986年
次代
浮田典良
末尾至行