水原義重
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水原 義重 | |
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生誕 |
1887年9月3日 日本 愛媛県 |
死没 | 1968年8月13日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1908年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
水原 義重(みずはら よししげ、1887年(明治20年)9月3日[1] - 1968年(昭和43年)8月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に愛媛県で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期卒業[1]。1933年(昭和8年)に独立守備歩兵第2大隊長に就任[2]。1935年(昭和10年)に、陸軍歩兵大佐に進級と同時に丸亀連隊区司令官に就任した[2]。1936年(昭和11年)に第1師団司令部附となり[2]、國學院大學に配属された[2]。1937年(昭和12年)に関東軍野戦鉄道司令部龍山支部長に転じ、1938年(昭和13年)に陸軍少将に進級[2]。
1939年(昭和14年)に新設された独立混成第7旅団長に就任し、日中戦争に出動[1]。晋中で討伐戦に当たる[1]。1940年(昭和15年)に独立混成第8旅団長[1]、1941年(昭和16年)3月に第55師団司令部附[1]、同年8月に第55師団兵務部長を歴任[1]。1943年(昭和18年)に福岡陸軍軍需輸送統制部長に就任し[1]、1944年(昭和19年)9月より第1船舶輸送司令部附を兼任[3]。1945年(昭和20年)1月15日に西部軍司令部附となり[4]、1月20日に第128師団長心得となる[5]。3月1日に陸軍中将に進級し[2]、第128師団長に親補され、羅子溝で終戦を迎えた[1]。
栄典
[編集]- 勲章
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 福川 2001, 696頁.
- ^ a b c d e f 外山 1981, 256頁.
- ^ 「第201号 昭和19年9月29日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120921500
- ^ 「第9号 昭和20年1月16日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120931000
- ^ 「第14号 昭和20年1月21日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120931700
- ^ 『官報』第5730号「叙任及辞令」1946年2月21日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。