水上長次郎
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水上 長次郎(みずかみ ちょうじろう、1858年2月10日(安政4年12月27日[1])- 1936年(昭和11年)4月3日[2][3])は、日本の判事、検事、貴族院勅選議員。
経歴
[編集]近江国彦根出身。1884年(明治17年)、司法省法学校を卒業[4]。徳島始審裁判所・大阪始審裁判所・大阪控訴院で判事を務め、京都地方裁判所部長・福井地方裁判所所長・岐阜地方裁判所所長を歴任した。1898年(明治31年)、大阪地方裁判所検事正となり、広島控訴院検事長・長崎控訴院検事長・大阪控訴院検事長を歴任した。その間、日露戦争の際には佐世保で捕獲審検所検察官を務めた[5]。1913年(大正2年)、名古屋控訴院長に就任し、のち大阪控訴院長に転じた。1921年(大正10年)6月14日、貴族院議員に勅選され[6][7]、交友倶楽部に所属して死去するまで在任した[2][8]。
大阪で勤務していた1889年(明治22年)には関西法律学校(現在の関西大学)の講師となり、校長代理も務めた[4]。また名古屋で勤務していた1916年(大正5年)には中京法律専門学校の校長を務めた。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]- ^ 『帝国法曹大観』81頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』167-168頁。
- ^ 『官報』第2776号、昭和11年4月7日
- ^ a b 『関西大学百年史』通史編上巻、103-104頁
- ^ 『貴族院要覧(丙)昭和7年12月増訂』224頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』30頁。
- ^ 『官報』第2661号、大正10年6月15日
- ^ 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』44頁。
- ^ 『官報』第3927号「叙任及辞令」1896年7月31日。
- ^ 『官報』第5210号「叙任及辞令」1900年11月12日。
- ^ 『官報』第1065号「叙任及辞令」1916年2月22日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
参考文献
[編集]- 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年。
- 『貴族院要覧(丙) 昭和7年12月増訂』貴族院事務局、1932年。
- 『貴族院要覧(丙)昭和21年12月増訂』貴族院事務局、1947年。
- 関西大学百年史編纂委員会『関西大学百年史』通史編上巻、学校法人関西大学、1986年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 斎藤十一郎 |
大阪控訴院長 1920年 - 1921年 |
次代 谷田三郎 |
先代 藤田隆三郎 |
名古屋控訴院長 1913年 - 1920年 |
次代 牧野菊之助 |
先代 藤堂融 |
大阪控訴院検事長 1908年 - 1913年 |
次代 小林芳郎 |
先代 矢野茂 |
長崎控訴院検事長 1902年 - 1908年 |
次代 山川徳治 |
先代 一瀬勇三郎 |
広島控訴院検事長 1901年 - 1902年 |
次代 矢野茂 |