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気高町立酒津小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
気高町立酒津小学校
酒津小学校跡
地図北緯35度31分27秒 東経134度05分20秒 / 北緯35.52403度 東経134.08883度 / 35.52403; 134.08883座標: 北緯35度31分27秒 東経134度05分20秒 / 北緯35.52403度 東経134.08883度 / 35.52403; 134.08883
過去の名称 酒津小学
酒津簡易小学
酒津尋常小学校
酒津尋常高等小学校
酒津国民学校
酒津村立酒津小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 気高町
設立年月日 1874年5月23日
閉校年月日 1957年4月1日
共学・別学 男女共学
所在地 689-0217[1]
鳥取県気高郡気高町大字酒津
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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気高町立酒津小学校(けたかちょうりつ さけのつしょうがっこう)は、かつて鳥取県気高郡気高町大字酒津(現・鳥取市気高町酒津)にあった公立小学校である。1957年(昭和32年)に、気高町立宝木小学校(現・鳥取市立)へ統合された。

沿革

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  • 1874年(明治7年)5月23日 - 観音堂を仮校舎として酒津小学開校。校区は酒津村
  • 1880年(明治13年)3月 - 現在の鳥取県漁業協同組合酒津支所の南側に木造瓦葺き2階建て校舎を新築。
  • この間に酒津簡易小学と改める。
  • 1892年(明治25年) - 酒津尋常小学校と改称。4か年課程となる。
  • 1893年(明治26年)10月 - 水災により校舎破損、翌年1月まで臨時休業。
  • 1894年(明治27年)
    • 1月5日 - 観音堂を仮校舎として授業開始。
    • 2月1日 - 校舎修繕終了。
  • 1900年(明治33年)夏 - 暴風雨のため校舎屋根および壁を破損し、10日間の臨時休業。
  • 1902年(明治35年)7月 - 運動場周囲の土手破損。
  • 1907年(明治40年)4月 - 生徒数増加により、低学年は午前、高学年は午後の二部授業開始。
  • 1908年(明治41年)4月 - 6か年課程となる。
  • 1911年(明治44年) - 二部授業廃止。
  • 1913年(大正2年) - 高等科を併置し、酒津尋常高等小学校と改称。
  • 1935年(昭和10年)3月30日 - 青年学校を小学校に併置[2]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により酒津国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により酒津村立酒津小学校と改称。
  • 1955年(昭和30年)7月 - 町村合併により、気高町立酒津小学校と改称。
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 気高町立宝木小学校への統合により閉校。

なお閉校までの間に、旧国道9号酒津隧道付近に2階建て校舎が建築され移転したが、その移転年月日は不明である。

(参考文献:[3][4][5]

進学先中学校

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廃校後

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1880年(明治13年)建築の校舎は酒津村役場庁舎となった後、気高町発足後の1956年(昭和31年)に改造されて酒津保育所となった。

また1957年(昭和32年)の廃校時まで所在した校舎は改築されて1959年(昭和34年)から酒津保育所が移転入居した。その後酒津保育所は1973年(昭和48年)にひかり保育所(現・鳥取市立ひかり保育園)へ統合されたことから解体され、現在は酒津地区公民館の敷地となっている[4]

脚注

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  1. ^ 現在の郵便番号。廃校当時は未導入。
  2. ^ 「鳥取県告示第432号」『鳥取県公報 第1139号』1935年6月14日鳥取県立公文書館
  3. ^ 酒ノ津史散歩 : 鳥取県の一漁村(橋本寿雄、1986年)
  4. ^ a b 気高町誌(気高町教育委員会、1977年)
  5. ^ 郷土更生誌174頁(内外新聞通信社、1935年)

関連項目

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