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民主カンプチア連合政府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
民主カンプチア連合政府
(1982年-1990年)
カンボジア国民政府
(1990年-1991年)
រដ្ឋាភិបាលចម្រុះនៃកម្ពុជាប្រជាធិបតេយ្យ
(1982 ‐ 1990)
រដ្ឋាភិបាលជាតិនៃកម្ពុជា
(1990 ‐ 1992)
民主カンプチア 1982年 - 1991年 国際連合カンボジア暫定統治機構
カンボジア
クメール・ルージュ非承認政府 (1994年-1998年)
カンプチアの国旗 カンプチアの国章
国旗国章
国歌: ដប់ប្រាំពីរមេសាមហាជោគជ័យ(クメール語)
栄光の4月17日

បទនគររាជ(クメール語)
王国
カンプチアの位置
ベトナムが占領していたカンボジアの位置
言語 クメール語
首都 プノンペン
(法令上)

アンロンベン英語版
(事実上)
大統領
1982年 - 1991年ノロドム・シハヌーク
外務担当副大統領
1982年 - 1991年 キュー・サムファン
首相
1982年 - 1991年ソン・サン
変遷
政府樹立 1982年6月22日
パリ協定1991年10月23日
UNTACによる統治開始1992年3月15日
王政復古1993年9月24日
通貨リエル
現在カンボジアの旗 カンボジア

民主カンプチア連合政府(みんしゅカンプチアれんごうせいふ、クメール語: រដ្ឋាភិបាលចម្រុះនៃកម្ពុជាប្រជាធិបតេយ្យ、英称:The Coalition Government of Democratic Kampuchea、英略称:CGDK)は、1982年ノロドム・シハヌークフンシンペック民主カンプチア党英語版クメール人民民族解放戦線の三つの政治派閥で形成されていた亡命政府である。

解説

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民主カンプチアが倒され、ベトナムの支援を受けて成立したカンプチア人民共和国に対抗し、カンプチア人民革命党と反ベトナム三派連合政府の対立が継続する[1]。CGDK存命中は民主カンプチアの勢力を拡大し、CGDKは国際承認されていた。

1991年パリ協定に先立ち、1990年2月3日、CGDKは名称をカンボジア国民政府(カンボジアこくみんせいふ、クメール語: រដ្ឋាភិបាលជាតិនៃកម្ពុជា、英称:National Government of Cambodia、英略称:NGC)へと変更したが、1993年には解散した。

国際的評価

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1988年10月11日、大統領執務室でロナルド・レーガン米大統領と記念撮影するノロドム・シアヌーク王子
カンプチア人民共和国と敵対するタイ・カンボジア国境のキャンプ(1979~1984年)

歴史

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脚注

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  1. ^ 上田広美・岡田知子編著『カンボジアを知るための60章』明石書店 2006年 205ページ

関連文献

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  • Jeldres, Julio A. (2005). Volume 1 – Shadows Over Angkor: Memoirs of His Majesty King Norodom Sihanouk of Cambodia. Phnom Penh: Monument Books. ISBN 974-92648-6-X 
  • Osborne, Milton E. (1994). Sihanouk Prince of Light, Prince of Darkness. Honolulu: University of Hawaii Press. ISBN 978-0-8248-1639-1 
  • Mehta, Harish C. (2001). Warrior Prince: Norodom Ranariddh, Son of King Sihanouk of Cambodia. Singapore: Graham Brash. ISBN 981-218-086-9 

関連項目

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外部リンク

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