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毎日が夏休み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

毎日が夏休み』(まいにちがなつやすみ)は、大島弓子少女漫画作品。

1994年に金子修介監督によって映画化された。

概要

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初出は1988年ASUKA」7月号[1]。作者の大島はこの作品を執筆中、熱と咳が出て苦しみ、『家庭の医学』で確認したところインフルエンザでいかなる薬もきかない、ただ安静にしていることのみ有効と書いてあったという。しかしネーム作成中であったため安静にはできず、気管支の呼吸困難に苦しんだ末に救急車を呼ぼうということに決めたが、身のまわりを片づけている間にカップが落ちた音がきっかけでいくぶんのどが楽になり空気が通りやすくなって、締め切りに間に合い仕上げることのできた作品であったと語っている[2]

ストーリー

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私立中学生の林海寺スギナは、10年前に離婚した母と、その再婚相手で同じく離婚経験者の成雪との三人暮らし。こぎれいなニュータウンに暮らしているが家族との会話は少ない。いじめが原因で学校に行かなくなったスギナは、偽造した成績表を母に見せて優等生を演じつつ、学校に行くふりをして毎日を公園で過ごしていたが、ある日その公園で新聞を読んでいた成雪と出会う。実は成雪も会社との方針があわず退職していたのだった。

互いの境遇を語り合ったふたりは帰宅すると母親に真実をうちあけるが、母親は世間体ばかりを気にして二人の気持ちに寄り添おうとしない。

スギナを学校に通わせるより自分の手元に置いた方が彼女のためになると判断した成雪は、成雪が社長、スギナが副社長のなんでも屋の林海寺社を設立し、二人は働き始める。

成雪がむやみやたらに仕事の案内状を送ったため、成雪の初婚相手の草本紅子から仕事の依頼が入ったり、母の初婚相手で母が忌み嫌っている江島わたるから娘を心配する電話がかかってきたりし、母親のいらいらは増す。

一計を案じた母は赤坂のクラブのホステスとして働き始め、その高給を使ってなんでも屋の夫と娘を雇い、家事全般をさせることで、二人が外で働くことを阻止して世間体を維持しようとするが、仕事の腕を上げていたふたりは手早く家事をすませると他の仕事にでかけるので、母のもくろみはうまくいかない。

早朝に家事をすませ、朝食後は成雪が教師役となって授業をし、それから仕事にでかけるのがふたりの毎日の日課となる。

ある日、紅子の家が火災で燃えているのをテレビで知った成雪は、彼女が大切にしていたものを運びだそうとかけつけ、大やけどを負って入院する。一方、過労と心労で倒れた母も入院し、二人は同じ病室に入ることになる。病室で成雪がつぶやいた「回復した時ははじめからやりなおせばいい もし死ぬようなことがあればいっしょに死のう」という言葉に胸を打たれた母は心を和らげる。入院費用や家のローンについては裕福な江島が援助してくれることになる。

二人は無事退院し、やがて林海寺社は成長を遂げて大企業となった。成雪は引退し、今はスギナが社長となっている。スギナは若い頃の父の授業を思い出し、お茶を飲みながら様々なことを成雪から教えられ、語り合ったことを「永遠の夏休み」のようだったと思うのだった。

映画

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毎日が夏休み
監督 金子修介
脚本 金子修介
製作 藤峰貞利 
製作総指揮 青木雅美
出演者 佐伯日菜子
佐野史郎
風吹ジュン
音楽 大谷幸
主題歌 鈴木トオル「時間のない街」
撮影 柴崎幸三
編集 冨田功
製作会社 パイオニアLDC
サンダンス・カンパニー
配給 KUZUIエンタープライズ
公開 日本の旗 1994年6月11日
上映時間 94分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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1994年製作の日本映画。金子修介の監督作品。

主役・スギナ役の佐伯日菜子の映画デビュー作であり、戸田恵子の女優デビュー作でもある。

キネマ旬報ベストテン10位。

製作

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企画は金子修介[3]。金子がサンダンス・カンパニーの古澤利夫(藤崎貞利)に企画を持ち込んだが、なかなか出資してくれる企業がなく、ようやくパイオニアLDC時代の真木太郎が窓口をやってくれ、同社の出資が決まり、映画が製作された[3]

キャスト

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スタッフ

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脚注

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  1. ^ 『毎日が夏休み』(あすかコミックス、1990年発行)巻末資料
  2. ^ 『秋日子かく語りき』(角川書店、2003年)収録の「本人自身による作品解説」より
  3. ^ a b 古澤利夫『映画の力』ビジネス社、2019年、410頁。ISBN 9784828420769 

外部リンク

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