歩兵第90連隊
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歩兵第90連隊 | |
---|---|
創設 | 1939年(昭和14年) |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 錦州省-興安北省 |
編成地 | 弘前[1] |
通称号/略称 | 満181[2][3]、凪20008[4][5][注 1] |
補充担任 | 弘前師管区[5] |
最終上級単位 | 第107師団 |
最終位置 | 索倫[1] |
戦歴 | 太平洋戦争 |
歩兵第90連隊(ほへいだい90れんたい、歩兵第九十聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊の一つ。
沿革
[編集]当初は関東軍直轄部隊として編成された[1]。その後、1941年(昭和16年)12月15日、軍令陸甲第92号により阿爾山駐屯隊司令部隷下部隊として錦州省錦県において編成完結[2]。1942年(昭和17年)1月27日、軍旗拝受[1]。同地の警備に当たった[2]。間もなく錦西に移駐し同地の警備に当たった[2]。同年5月、連隊本部と第1大隊は興安北省伊爾施へ、第2大隊は半打蓋へ、第3大隊は阿爾山へ移駐し、改編まで同地の警備に当たった[2]。
1944年(昭和19年)6月、軍令陸甲第55号により復帰完結し、第107師団の隷下に入る[2][3]。主力は阿爾山、その他は伊爾施およびハンダガヤにおいて編成完結し、外蒙国境監視や警備などに従事した[3]。兵力補充は弘前師管区の歩兵第1補充隊で担当した[5]。1945年(昭和20年)8月、ソ連対日参戦に伴い新京方面へ転進[3]。興安北省牛汾台、五叉溝、西口などでソ連軍第19親衛狙撃師団と交戦し大損害を被り進路を変更して師団主力と共に山中を迂回[3]。号什台にて再びソ連軍と交戦しこれを突破し興安南省音徳爾で武装解除となった[3]。
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 副島太郎 | 1939.8.1[6][7] - 1942.5.21[6] | 陸士30期[6][8] | 戦死[7][9] |
2 | 副島二郎[2] | |||
3 | 松村重夫 | 1944.7.8[10][11] - | 陸士31期[10][11][12] | |
4 | 早田正義 | - 終戦[1] | 少候10期[13] | 少佐[3] |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『地域別日本陸軍連隊総覧 歩兵編』83頁では凪20006。
出典
[編集]- ^ a b c d e 新人物往来社 1990, 83頁.
- ^ a b c d e f g 「陸軍北方部隊略歴(その6) 復皈部隊/分割5」 アジア歴史資料センター Ref.C12122431000 、昭和38年3月1日。
- ^ a b c d e f g 「陸軍北方部隊略歴(その4) 第3方面軍/分割1」 アジア歴史資料センター Ref.C12122428300 、昭和38年3月1日。
- ^ 「18.107D 第107師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011244300
- ^ a b c 「91.107D 第107師団」 アジア歴史資料センター Ref.C15011174500
- ^ a b c 外山、森松 1987, 704頁.
- ^ a b 外山 1981, 424頁.
- ^ 山崎 1990, 238頁.
- ^ 福川 2001, 412頁.
- ^ a b 外山、森松 1987, 1085頁.
- ^ a b 外山、森松 1987, 1226頁.
- ^ 山崎 1990, 239頁.
- ^ 山崎 1990, 242頁.
参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 外山操、森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 山崎正男 編『陸軍士官学校:保存版』(第8)秋元書房、1990年。
- 『地域別日本陸軍連隊総覧 歩兵編』新人物往来社〈別冊歴史読本 特別増刊第24号 戦記シリーズ〉、1990年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。