歩兵第64連隊
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歩兵第64連隊 | |
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創設 | 1905年 |
廃止 | 1925年 |
再編成 | 1938年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 熊本 - 都城 / 熊本 |
通称号/略称 | 旭1111 |
上級単位 | 第16師団 - 第6師団 / 第23師団 |
最終位置 | フィリピン ルソン島 |
戦歴 | 日露 - 日中 - ノモンハン事件 - 第二次世界大戦 |
歩兵第64連隊(ほへいだい64れんたい、歩兵第六十四聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1905年(明治38年)
- 7月 - 第16師団隷下となる
- 8月8日 - 軍旗拝受
- 1907年(明治40年)3月29日 - 大阪府泉北郡高石村に移転[1]。
- 1908年(明治41年)10月27日 - 留守隊が熊本県飽託郡大江村の野砲兵第6連隊留守隊に移転[2]。
- 1909年(明治42年)11月1日 - 留守隊が宮崎県北諸県郡五十市村の新兵営に移転[3]。
- 1925年(大正14年)5月1日 - 宇垣軍縮により廃止される
- 1938年(昭和13年)7月 - 再編成され第23師団隷下となり、ホロンバイル地区の警備に当たる
- 1939年(昭和14年)
- 5月13日 - ノモンハン事件発生
- 5月19日 - 第一次ノモンハン事件に参加。31日まで
- 6月20日 - 第二次ノモンハン事件に参加。9月15日まで
- 8月29日 - 猛攻撃を受ける中、軍旗奉焼ののち連隊長は自決
- 11月 - 師団が第14方面軍に編成替え
- 11月12日 - 門司港を出港
- 11月15日 - 輸送船「吉備丸」が潜水艦の攻撃を受け沈没、連隊長以下多数が戦死した。輸送船団は更に済州島沖、鹿児島沖でも魚雷攻撃を受ける
- 12月 - サンフェルナンド港に上陸
- 1945年(昭和20年)
- 1月9日 - バレテ峠でアメリカ軍と戦う
- 1月25日 - 撤退命令が下される
- 2月 - バギオの防衛に当たる
- 8月 - 終戦
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 | ||
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第一次 | |||||
1 | 太田栄次郎 | 1905.7.18[4] - 1906.7.11[4] | |||
2 | 菊地節蔵 | 1906.7.11[4] - 1908.12.23[4] | |||
3 | 和田音五郎 | 1908.12.23[4] - 1912.4.1[4] | |||
4 | 茂木鐫八郎 | 1912.4.1[4] - 1917.8.6[4] | |||
5 | 赤井春海 | 1917.8.6[4] - 1918.8.19[4] | |||
6 | 中村定吉 | 1918.8.19[4] - 1920.8.10[4][5] | |||
7 | 菊池武夫 | 1920.8.10[4] - 1922.8.15[4] | |||
8 | 竹森正一 | 1922.8.15[4] - 1923.8.6[6] | |||
9 | 川崎亨一 | 1923.8.6 - 1925.5.1 | |||
第二次 | |||||
1 | 山県武光 | 1938.7.15 - 1939.8.29 | 自決 | ||
2 | 大西小四郎 | 1939.9.8 - | |||
3 | 芳村正義 | 1940.11.14 - | |||
4 | 島田恵之助 | 1942.8.1 - | |||
5 | 磯貝文吉 | 1943.12.28 - | |||
6 | 中井春一 | 1944.10.15 - 11.15 | 中佐、戦死 | ||
末 | 中島正清 | 1944.12.20 - |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。