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歩兵第64連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第64連隊
創設 1905年
廃止 1925年
再編成 1938年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 熊本 - 都城 / 熊本
通称号/略称 旭1111
上級単位 第16師団 - 第6師団 / 第23師団
最終位置 フィリピン ルソン島
戦歴 日露 - 日中 - ノモンハン事件 - 第二次世界大戦
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歩兵第64連隊(ほへいだい64れんたい、歩兵第六十四聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

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7月 - 第16師団隷下となる
8月8日 - 軍旗拝受
5月13日 - ノモンハン事件発生
5月19日 - 第一次ノモンハン事件に参加。31日まで
6月20日 - 第二次ノモンハン事件に参加。9月15日まで
8月29日 - 猛攻撃を受ける中、軍旗奉焼ののち連隊長は自決
  • 1941年(昭和16年) - 再建された連隊は満州北部の守備に就く
  • 1944年(昭和19年)
11月 - 師団が第14方面軍に編成替え
11月12日 - 門司港を出港
11月15日 - 輸送船「吉備丸」が潜水艦の攻撃を受け沈没、連隊長以下多数が戦死した。輸送船団は更に済州島沖、鹿児島沖でも魚雷攻撃を受ける
12月 - サンフェルナンド港に上陸
1月9日 - バレテ峠でアメリカ軍と戦う
1月25日 - 撤退命令が下される
2月 - バギオの防衛に当たる
8月 - 終戦

歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
第一次
1 太田栄次郎 1905.7.18[4] - 1906.7.11[4]
2 菊地節蔵 1906.7.11[4] - 1908.12.23[4]
3 和田音五郎 1908.12.23[4] - 1912.4.1[4]
4 茂木鐫八郎 1912.4.1[4] - 1917.8.6[4]
5 赤井春海 1917.8.6[4] - 1918.8.19[4]
6 中村定吉 1918.8.19[4] - 1920.8.10[4][5]
7 菊池武夫 1920.8.10[4] - 1922.8.15[4]
8 竹森正一 1922.8.15[4] - 1923.8.6[6]
9 川崎亨一 1923.8.6 - 1925.5.1
第二次
1 山県武光 1938.7.15 - 1939.8.29 自決
2 大西小四郎 1939.9.8 -
3 芳村正義 1940.11.14 -
4 島田恵之助 1942.8.1 -
5 磯貝文吉 1943.12.28 -
6 中井春一 1944.10.15 - 11.15 中佐、戦死
中島正清 1944.12.20 -

脚注

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  1. ^ 『官報』第7126号、明治40年4月5日。
  2. ^ 『官報』第7607号、明治41年11月2日。
  3. ^ 『官報』第7914号、明治42年11月9日。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 歩兵第六十四聯隊史』帝国聯隊史刊行会、大正12https://dl.ndl.go.jp/pid/941995/1/17 
  5. ^ 『官報』第2408号、大正9年8月11日。
  6. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。

参考文献

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  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

関連項目

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