歩兵第214連隊
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歩兵第214連隊 | |
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創設 | 1939年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 会津若松 - 宇都宮 |
通称号/略称 | 弓第6823部隊 |
愛称 | 白虎部隊 |
部隊歌 | 聯隊歌 |
上級単位 | 第33師団 |
最終位置 | タイ王国 |
戦歴 | 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第214連隊(ほへいだい214れんたい、歩兵第二百十四聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1939年(昭和14年)
- 2月7日 - 編成下令[1]
- 3月23日 - 軍旗拝受[1]
- 4月4日 - 中支派遣のため新潟港出帆[2]
- 編成地である会津若松にちなみ略帽の星章の上に白虎のしるしをつける[3]。
- 4月21日 - 湖北省大冶県大冶に移駐。その後、中支及び北支の警備及び各作戦に参加する[1]。
- 1942年(昭和17年)
- 1月10日 - バンコクに上陸[4]
- 2月1日 - 泰緬国境を越え、ビルマに進攻[4]
- 3月8日 - ラングーン占領[5]
- 4月9日~20日 - エナンジョン油田付近の戦闘に参加[4][6]。同地における戦闘に対し第15軍司令官より感状授与[7]。
- 1944年(昭和19年)
- 4月にはアラカン山系を越えインパール平地周辺に到達。インパールの外郭陣地であるビシェンプール等を攻撃するが、損害続出し戦力は大幅に低下する[9]。
- 6月に入りもはや連隊としてまとまった攻撃が不可能となった後は少人数による潜入攻撃(斬込み)を実行したが、その内、第9中隊はインパールまで4マイルの地点まで進出し、これがインパール作戦中もっともインパールに近づいた日本軍部隊となった[10][11]
- 1945年(昭和20年)
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 佐藤謙 | 1939.3.9 - | |
2 | 浜田十之助 | 1940.3.11 - | |
3 | 作間喬宜 | 1941.10.15 - | |
末 | 林正直 | 1945.6.18 - |
脚注
[編集]- ^ a b c 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、序文18頁。
- ^ 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、2頁。
- ^ 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、1頁。
- ^ a b c 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、序文19頁。
- ^ 『ビルマ攻略作戦』、178頁。
- ^ 『ビルマ攻略作戦』、349頁。
- ^ 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、379頁。
- ^ 『インパール作戦』、402頁。
- ^ 『インパール作戦』、540頁。
- ^ 『インパール作戦』、605頁。
- ^ 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、749頁。
- ^ a b 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、序文20頁。
- ^ 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、1025頁。
- ^ 『歩兵第二百十四聯隊戦記』、序文8頁。
参考文献
[編集]- 『歩兵第二百十四聯隊戦記』歩兵第二百十四聯隊戦記編纂委員会、1974年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室 編 『ビルマ攻略作戦』〈戦史叢書〉朝雲新聞社、1967年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室 編 『インパール作戦 ビルマの防衛』〈戦史叢書〉朝雲新聞社、1968年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。