武雄市立山内東小学校
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武雄市立山内東小学校 | |
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北緯33度11分36.3秒 東経129度57分50.8秒 / 北緯33.193417度 東経129.964111度座標: 北緯33度11分36.3秒 東経129度57分50.8秒 / 北緯33.193417度 東経129.964111度 | |
過去の名称 |
中通尋常小学校 中通尋常高等小学校 中通国民学校 中通村立中通小学校 山内村立山内東小学校 山内町立山内東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 武雄市 |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
犬走分校 舟原分校 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141220600086 |
所在地 | 〒849-2302 |
佐賀県武雄市山内町大字鳥海9602番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
武雄市立山内東小学校(たけおしりつ やまうちひがししょうがっこう)は、佐賀県武雄市山内町大字鳥海にある市立の小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1875年(明治8年)創立。数回の改組・改称を経て、現校名になったのは2006年(平成18年)。2025年(令和7年)に創立150周年を迎える。
- 校章
- 桜の花弁の絵を背景にして、中央に校名の「山内東」の文字(縦書き)を配している。
- 校歌
- 1941年(昭和16年)制定(1953年(昭和28年)一部歌詞を改訂)。作詞は射手矢貞三、作曲は松島率による。歌詞は2番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
- 校区
- 武雄市山内町のうち「犬走区、踊瀬区、永尾区、鳥海区、三間坂区、船の原区(船の原下、柿古場、中通辰石、稗田古門、山仁田西迎、唐原)、上戸の区域」。中学校区は武雄市立山内中学校[1]。
- 分校
- 犬走分校(いぬばしり)
- 校区 - 山内町犬走区の区域の1・2年生
- 所在地 - 〒849-2301佐賀県武雄市山内町大字犬走3790番地1
- 舟原分校(ふねのはら)
- 校区 - 山内町船の原区(船の原下、柿古場、中通辰石、稗田古門、山仁田西迎、唐原)、上戸の区域の1・2年生
- 所在地 - 〒849-2302佐賀県武雄市山内町大字鳥海17522番地1
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 前史[2]
- 1844年(弘化元年)- 馬場宝太夫が鳥海村で開塾。
- 1858年(安政5年)- 岩永貞左エ門の弟、牟田右エ門佐忠行が岩ノ口に尺蠖塾を開く。
- 明治になってから、山口昻が鶴ノ原で、江口俊二が鳥海で、東光寺住職慈観が三鳥塾を開く。
- 1872年(明治5年)- 犬走の蓮和に犬走塾が開かれる。
- 佐賀県立開成学校を卒業した平吉信道が犬走塾、その弟の牟田忠行が三鳥塾の塾長を務める。
- 本史
- 1875年(明治8年)- 立野川内の悉地院に「船立小学校[3]」、東光寺に「三鳥小学校」、犬走に「犬走小学校」が創立。
- 1876年(明治9年)
- 船立小学校より、船ノ原が分離し[4]、三鳥小学校に移管された上で「三鳥小学校 船ノ原分校」となる。
- 鳥海・永尾地区の児童を対象に「鳥海小学校」が創立。
- 1877年(明治10年)- 鳥海小学校校舎が火災で焼失したため、再建。
- 1882年(明治15年)- 三間坂村樋口に三鳥小学校の新校舎が完成。
- 1886年(明治19年)- 犬走小学校の校舎を新築。
- 1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常三鳥小学校」・「尋常犬走小学校」・「尋常鳥海小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、犬走村・鳥海村・三間坂村の3村が合併し、中通村が発足。
- 1892年(明治25年)4月 - 「三鳥尋常小学校」・「犬走尋常小学校」・「鳥海尋常小学校」に改称。
- 1894年(明治27年)- 三鳥と鳥海の尋常小学校2校を統合の上、「中通尋常小学校」とする。船ノ原分校が移管される。
- 1903年(明治36年)- 高等科(4年制)を並置の上、「中通尋常高等小学校」に改称。犬走尋常小学校を統合の上、犬走分教場とする。
- 1904年(明治37年)- 椿原で中通・住吉・竹内・若木4校合同運動会を開催。
- 1908年(明治41年)- 改正小学校令により、尋常科が6年制・高等科が2~3年制となる。
- 1941年(昭和16年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 1948年(昭和23年)- PTAが発足。
- 1953年(昭和28年)- 校歌歌詞の一部を改訂。
- 1番 - 「みな孝順の子と育つ」を「平和日本の子と育つ」に改める。
- 2番 - 「みな忠良の民となる」を「明るく直き道学ぶ」に改める。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 山内村の発足により、「山内村立山内東小学校」に改称。舟原分校の校舎を新築。
- 1960年(昭和35年)
- 1964年(昭和39年)- 完全給食を開始。
- 1967年(昭和42年)- プールが完成。運動場を拡張。全教室にストーブを設置。
- 1970年(昭和45年)- 体育館が完成。
- 1975年(昭和50年)- 創立100周年記念式典を挙行。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 武雄市への編入により、「武雄市立山内東小学校」(現校名)に改称。
交通
[編集]- 本校
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- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停留所
- 嬉野・三間坂線、武雄・三間坂線「山内東小学校前」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 長崎県道・佐賀県道104号波佐見山内線・ 佐賀県道45号嬉野山内線「山内町岩井手」交差点
- 国道35号・佐賀県道45号嬉野山内線「小越」交差点
- 犬走分校
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- 最寄りのバス停留所
- 嬉野・三間坂線「中郷」停留所
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道45号嬉野山内線
- 舟原分校
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- 最寄りの幹線道路
- 長崎県道・佐賀県道104号波佐見山内線
周辺
[編集]- 本校
- 犬走分校
- 森蓮和公民館
- 舟原分校
- 舟ノ原公民館
脚注
[編集]- ^ 武雄市立小中学校通学区域一覧 - 武雄市ウェブサイト
- ^ 「山内町史 下巻」(山内町史編さん委員会、1977年(昭和52年)10月1日発行)p. 297
- ^ 「船ノ原」と「立野川内」の頭文字を合わせた校名となっていた。
- ^ この後、立野川内地区の児童だけとなり、「立野川内小学校」に改称。武雄市立山内西小学校 立野川内分校の前身となる。
- ^ 1954年(昭和29年)に「山内村立山内東中学校」に改称した後、1959年(昭和34年)に山内村立山内西中学校(旧・住吉村立住吉中学校)と統合され、山内村立山内中学校となった。
- ^ 分校も含める。高等科も含めた最大児童数は1946年度(昭和21年度)の1,086名。
参考資料
[編集]- 「山内町史 下巻」(山内町史編さん委員会、1977年(昭和52年)10月1日発行)p. 298~