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武庫令

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武庫令(ぶこれい)は、紀元前3世紀の前漢から13世紀のの時代まで、中国にあった官職である。武器庫を管理した。

歴史

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の制度は直接伝わらないが、前漢の制度は多く秦を引き継いでいるので、秦の時代にも武庫令があった可能性がある。

前漢

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前漢の武庫令は太初元年(紀元前104年)まで中尉に属し、中尉が執金吾と改称してからは執金吾に属した[1]。武庫令には副官として(武庫丞)が3人ついた[1]。丞はふつう1人で、3人は多い。

武庫令が管理するのは長安の武庫で、高祖8年(紀元前199年)に未央宮がつくられたとき、前殿、太倉とともに建てられた[2]。この武庫は極めて重要と認められていた。征和2年(紀元前91年)に巫蠱の禍を被った皇太子(劉挙)が反乱を起こしたときには、反乱軍が武庫を制圧し、兵器を取り出して用いた[3]

大将軍王鳳には、将軍付きの武庫令があった。仕事がなくて暇だったという[4]

地方では、雒陽(洛陽)に重要な武庫があり、雒陽武庫令が管理した[5]

地方の郡や、漢に臣従する諸侯王の国にも武庫があったようで、「楚武庫印」という銅印と、「斉武庫丞」という封泥東海郡の「武庫永始四年兵車器簿」が見つかっている[6]

後漢

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後漢では、引き続き執金吾の下に武庫令が置かれ、丞が一人つくことも変わらなかった[7]秩石は600石[7]

魏晋南北朝

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三国時代にも武庫があったが、それを管理する役人については史書に記載がない。

には武庫令があり、衛尉が統括した[8]

南北朝時代の南朝のにも武庫令があり、尚書庫部の下にあった[9]

には庫部尚書郎の下に南武庫署と北武庫署という官庁があり、長官に南武庫令と北武庫令がいた[10]。それぞれに南武庫丞2人と北武庫丞2人がついた[11]。それと同じか不明だが、衛尉卿が武庫令を統べていた[12]

北朝の斉(北斉)では、衛尉卿を長官とする衛尉寺という官庁の下に、武庫署という官庁が置かれ、その長官が武庫令であった[13]。甲兵および吉凶の儀仗、すなわち鎧、武器、儀礼的な武器を掌った[13]。武庫署にはまた修故局が付属し、修故丞が古い甲(鎧)などの修理にあたった[13]

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では、衛尉卿を長官とする衛尉寺の下に武庫署が置かれ、その長官は2人の武庫令で、2人の武庫丞がついた[14]官品正八品と定められた[15]

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ははじめ都の長安にだけ武庫署を置いたが、開元25年(737年)に東都(洛陽)にも設けた[16]衛尉卿を長官とする衛尉寺に属した[17][16]

『旧唐書』は武庫令が両京に各1人いたとするが、『新唐書』では各2人である[17][16]官品従六品下。俸銭は7千[18]

武庫丞は2人で官品は従八品下、府2人、史6人、監事1人がいて正九品上[17][16]。他に典事2人、掌固5人がいた[17][16]。『旧唐書』と『新唐書』では丞以下の人数は同じだが、『新唐書』ではその人数に各2人などすべて各の字がつ。

職務は、国家の武器・兵器を収蔵し、その種類と数を管理して、国の用に備えることである[17]。また、皇帝の親征、大田(軍事訓練)、巡狩の際に儀式として雄の羊・猪・鶏の血を鼓に塗った[17]。太子か大将が出征するときは、雄の豚を用いた[17]。恩赦があるときには、金雞を鼓とともに宮城の門の右に置き、大理が府県の囚徒を連れて到着したとき、鼓を叩いた[17][19]。鼓の音が止むと、集まった囚徒に皇帝の詔が宣べ伝えられた[19]

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にも武庫はあったが、倉庫一般として特別扱いされなかったり、衛尉寺の下で複数の倉庫(弓箭庫、南外庫、軍器衣甲庫、軍器弓槍庫、軍器弩剣箭庫)ごとに官吏が置かれたりして、武庫令が任じられることはなかった[20]

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では武庫署の長官として従六品の武庫令が置かれ、女真人をあてた[21]従七品の武庫丞が1人ついた[21]正八品の武庫直長は初め2人で、大定2年(1162年)以降1人となった[21]

明・清

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に武庫令はなく、兵部尚書を長とする兵部の下に、武庫郎中を長とする武庫清吏司を置いた[22]。通称は武庫司である。副都の南京にも兵部と武庫司があり、武庫郎中がいた[23]

もまた、兵部尚書を長とする兵部の下に、武庫郎中を長とする武庫清吏司を置いた[24]。清末には陸軍改革があり、武庫司は軍実司に代わった。

脚注

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  1. ^ a b 『漢書』巻巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』103頁。
  2. ^ 『史記』巻8、高祖本紀第8、高祖8年。ちくま学芸文庫『史記』1の271頁。
  3. ^ 『漢書』漢63、武五王伝第33、戻太子拠。ちくま学芸文庫『漢書』5の533頁。
  4. ^ 『漢書』巻60、杜周伝、杜欽。ちくま学芸文庫『漢書』5の447頁。
  5. ^ 『漢書』巻74、魏相丙吉伝第44。ちくま学芸文庫『漢書』6の171頁。
  6. ^ 『『漢書』百官公卿表訳注』106頁注5。
  7. ^ a b 『続漢書』(『後漢書』に合わさる)百官志4、早稲田文庫『後漢書』志2の511頁。
  8. ^ 『晋書』巻24、志第14、職官、衛尉。
  9. ^ 『宋書』巻39、志第29、百官上、武庫令。
  10. ^ 『隋書』巻26、志第21、百官上、尚書。
  11. ^ 『隋書』巻26、志第21、百官上、三品蘊位。
  12. ^ 『隋書』巻26、志第21、百官上、衛尉卿
  13. ^ a b c 『隋書』巻26、志第22、百官中、衛尉寺。
  14. ^ 『隋書』巻27、志第23、百官下、衛尉寺。
  15. ^ 『隋書』巻27、志第23、百官下、正八品。
  16. ^ a b c d e 『新唐書』巻48、志第38、百官5、衛尉寺。
  17. ^ a b c d e f g h 『旧唐書』巻44、志第24、職官3、衛尉寺。
  18. ^ 『新唐書』巻55、志第45、食貨5、百官俸銭。
  19. ^ a b 『旧唐書』巻50、志第30、刑法。
  20. ^ 『宋史』巻164、志第117、職官4、衛尉寺。
  21. ^ a b c 『金史』巻56、志第37、百官2、殿前都点検司。
  22. ^ 『明史』巻72、志第48、職官1、兵部。
  23. ^ 『明史』巻75、志第48、職官4、南京宗人府、兵部。
  24. ^ 『清史稿』巻114、志89、職官1、兵部。

参考文献

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外部リンク

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