福井鉄道南越線
南越線 | |
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:社武生駅 終点:戸ノ口駅 |
駅数 | 14駅 |
運営 | |
開業 | 1914年1月29日 |
廃止 | 1981年4月1日 |
所有者 | 福井鉄道 |
使用車両 | 車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 14.3 km (8.9 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 直流600 V 架空電車線方式 |
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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南越線(なんえつせん)は、かつて福井県武生市(現・越前市)の社武生駅から同県鯖江市の戸ノ口駅までを結んでいた福井鉄道の鉄道路線である。
概要
[編集]武岡軽便鉄道(ぶこうけいべんてつどう)の蒸気動力による軽便鉄道路線として、1911年(明治44年)に認可され、1915年(大正4年)までに武生(現在の越前市)- 岡本新(旧今立郡今立町、現在の越前市今立地区)間、1924年(大正13年)に戸ノ口(現在の鯖江市戸口)までが開業した。戸ノ口 - 鯖江間の延伸計画もあったが幻に終わった[2]。その後、社名変更や会社合併を経て、1945年(昭和20年)には福井鉄道の一路線となった。
モータリゼーションによる乗客の減少により南越線全線廃止が決まり、第一段階として1971年(昭和46年)に粟田部 - 戸ノ口間が廃止された。残りの社武生 - 粟田部間は五分市駅より分岐する3つの専用線の貨物輸送契約の関係から廃止が先送りされたが[2][3]、1981年(昭和56年)に廃止された。
社武生駅は国鉄北陸本線の武生駅の東側にあった。武生駅への連絡線を介して北陸本線と福武線との貨車の受渡しや福武線への甲種輸送が行われていた。福井鉄道福武線の武生新駅(現・たけふ新駅)とは、北陸本線をはさんで福武口駅で地下道を通じ連絡していた。また岡本新駅はスイッチバック形の配線になっていた[2][4]。
路線データ
[編集]1971年の部分廃止直前時点のもの
年表
[編集]- 1911年(明治44年)9月28日 鉄道免許状下付(武生-定友間)[5]。
- 1912年(明治45年)4月1日 武岡軽便鉄道設立[6][7]。
- 1913年(大正2年)3月26日 軽便鉄道鉄道免許状下付(南条郡武生町-丹生郡朝日村間)[8]。
- 1914年(大正3年)
- 1915年(大正4年)8月26日 粟田部 - 岡本新間が開業[9][14]。
- 1916年(大正5年)9月30日 軽便鉄道免許失効(南条郡武生町-丹生郡朝日村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[15]。
- 1918年(大正7年)3月19日 武岡鉄道に社名変更[9][16]。
- 1922年(大正11年)9月2日 今立鉄道に対し鉄道免許状下付(今立郡岡本村 - 同郡新横江村)[17]。
- 1924年(大正13年)
- 1925年 この年までに北村駅 - 五分市駅間の北駅廃止[19]。
- 1927年(昭和2年)
- 1941年(昭和16年)7月2日 福武電気鉄道に合併、同社の南越線となる[9]。
- 1945年(昭和20年)8月1日 鯖浦電気鉄道が合併して福井鉄道となり、南越線は福井鉄道の一路線となる[21]。
- 1948年(昭和23年)3月1日 全線を電化[2][22][23]。
- 1971年(昭和46年)9月1日 粟田部 - 戸ノ口間が廃止[3][4]。
- 1981年(昭和56年)4月1日 社武生 - 粟田部間の廃止により全線廃止[2][3][4][23]。
駅一覧
[編集]駅名および所在地は当線廃止時点のもの。全駅福井県に所在。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
社武生駅 | - | 0.0 | 国鉄:北陸本線(武生駅) | 武生市錦町 |
福武口駅 | 0.3 | 0.3 | 福井鉄道:福武線(武生新駅) | 武生市錦町 |
北府駅[1] | 0.5 | 0.8 | 武生市万代町 | |
村国駅 | 1.6 | 2.4 | 武生市村国 | |
塚町駅 | 1.5 | 3.9 | 武生市塚町 | |
北村駅 | 0.4 | 4.3 | 武生市北町 | |
五分市駅 | 2.5 | 6.8 | 武生市真柄町 | |
粟田部駅 | 1.9 | 8.7 | 今立郡今立町粟田部 | |
岡本新駅 | 1.1 | 9.8 | 今立郡今立町新在家 | |
定友駅 | 0.6 | 10.4 | 今立郡今立町定友 | |
野岡駅 | 1.1 | 11.5 | 今立郡今立町野岡 | |
庄境駅 | 1.1 | 12.6 | 今立郡今立町西庄境 | |
越前赤坂駅 | 0.6 | 13.2 | 今立郡今立町赤坂 | |
戸ノ口駅 | 1.1 | 14.3 | 鯖江市戸口町 |
輸送・収支実績
[編集]福井鉄道合併以前
[編集]年度 | 乗客(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1914 | 150,915 | 1,226 | 15,791 | 11,765 | 4,026 | 前期改算減1,391 | 1,181 | ||
1915 | 190,072 | 3,473 | 19,137 | 13,499 | 5,638 | 3,005 | 7,634 | ||
1916 | 198,393 | 7,020 | 21,472 | 13,993 | 7,479 | 3,302 | 7,865 | ||
1917 | 232,522 | 11,620 | 26,568 | 16,510 | 10,058 | 建物売却差損金597 | 3,301 | 4,250 | |
1918 | 249,802 | 14,613 | 35,122 | 22,798 | 12,324 | 2,975 | 2,577 | ||
1919 | 285,197 | 14,322 | 47,397 | 43,207 | 4,190 | 特別積立金繰入3,500 | 976 | 5,482 | |
1920 | 283,347 | 13,244 | 58,550 | 45,504 | 13,046 | 任意準備金繰入6,750 | 雑損金65政府補助金返納1,990 | 204 | |
1921 | 218,839 | 12,878 | 60,932 | 38,066 | 22,866 | 593 | |||
1922 | 270,726 | 14,712 | 64,496 | 40,380 | 24,116 | 541 | |||
1923 | 259,654 | 13,227 | 63,513 | 39,473 | 24,040 | 違約補償金7,000 | 258 | ||
1924 | 273,447 | 14,265 | 74,528 | 68,654 | 5,874 | 準備金繰入18,392雑収6,964 | 償却9,000雑損7,154 | 3,914 | 1,307 |
1925 | 331,609 | 12,699 | 79,898 | 57,640 | 22,258 | 雑損18,830 | 16,514 | 12,990 | |
1926 | 332,042 | 11,029 | 91,093 | 52,320 | 38,773 | 雑損578 | 9,000 | 15,683 | |
1927 | 349,940 | 18,133 | 94,071 | 59,308 | 34,763 | 雑損129償却金12,660 | 6,711 | 15,714 | |
1928 | 376,880 | 21,412 | 104,769 | 67,656 | 37,113 | 雑損3,172償却金15,917 | 3,520 | 15,934 | |
1929 | 344,052 | 18,357 | 97,454 | 65,674 | 31,780 | 雑損9,492 | 2,661 | 16,130 | |
1930 | 298,739 | 14,922 | 81,794 | 57,462 | 24,332 | 雑損10,957 | 3,777 | 16,176 | |
1931 | 262,684 | 14,292 | 73,001 | 52,424 | 20,577 | 雑損32,293 | 2,665 | 16,180 | |
1932 | 237,708 | 13,417 | 67,952 | 50,075 | 17,877 | 雑損償却金30,238 | 631 | 13,551 | |
1933 | 265,545 | 15,610 | 78,627 | 53,024 | 25,603 | 償却金4,900 | 52 | 16,182 | |
1934 | 283,173 | 17,357 | 84,737 | 65,022 | 19,715 | 雑損償却金3,057 | 179 | 16,351 | |
1935 | 287,882 | 19,225 | 86,493 | 63,066 | 23,427 | 償却金95,767 | 73 | 2,803 | |
1936 | 323,424 | 25,651 | 97,728 | 68,679 | 29,049 | 償却金3,000 | 52 | ||
1937 | 348,669 | 26,293 | 97,171 | 73,112 | 24,059 | 雑損償却金2,767 | 52 |
- 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
福井鉄道合併以後
[編集]年度 | 乗車人員(人) | 降車人員(人) | 発送貨物(トン) | 到着貨物(トン) |
---|---|---|---|---|
1948 | 1,834,696 | 1,834,696 | 34,512 | 34,512 |
1949 | 1,923,202 | 1,923,202 | ||
1950 | 1,995,612 | 1,995,612 | 9,952 | 20,246 |
1951 | 2,081,303 | 2,081,303 | 22,827 | 18,983 |
1952 | 2,055,147 | 2,055,147 | 34,639 | 42,337 |
1953 | 1,859,074 | 1,859,074 | 46,407 | 46,407 |
1954 | 1,871,983 | 1,871,983 | 46,109 | 46,109 |
1955 | 1,844,486 | 1,844,486 | 47,366 | 47,366 |
1956 | 1,846,667 | 1,846,667 | 18,835 | 35,600 |
1957 | 1,827,904 | 1,827,904 | 60,129 | 60,129 |
1958 | 1,804,956 | 1,804,956 | 63,385 | 63,385 |
1959 | 1,829,779 | 1,829,779 | 79,766 | 79,766 |
1960 | 1,990,982 | 1,990,982 | 92,871 | 92,871 |
1961 | 2,121,100 | 2,121,100 | 90,471 | 90,471 |
1962 | 2,148,801 | 2,148,801 | 82,766 | 82,766 |
1963 | 2,204,024 | 2,204,024 | 71,146 | 71,146 |
1964 | 2,436,843 | 2,436,843 | 68,281 | 68,281 |
1965 | 2,231,088 | 2,231,088 | 66,478 | 66,478 |
1966 | 2,201,269 | 2,201,269 | 86,850 | 86,850 |
1967 | 2,054,677 | 2,054,677 | 102,718 | 102,718 |
1968 | 1,938,573 | 1,938,573 | 26,536 | 60,219 |
1969 | 1,763,647 | 1,756,830 | 25,177 | 50,067 |
1970 | 1,581,577 | 1,576,792 | 27,557 | 67,626 |
1971 | 1,028,251 | 1,028,251 | 28,128 | 77,093 |
1972 | 556,132 | 556,132 | 27,503 | 61,230 |
1973 | 502,348 | 502,348 | 21,799 | 52,729 |
1974 | 399,418 | 399,418 | 12,571 | 38,941 |
1975 | 371,224 | 371,224 | 11,639 | 35,287 |
1976 | 349,837 | 349,837 | 9,385 | 31,668 |
1977 | 332,652 | 332,652 | 10,496 | 25,468 |
1978 | 258,019 | 271,515 | 8,393 | 10,749 |
1979 | 230,312 | 235,809 | 8,008 | 13,531 |
1980 | 176,865 | 186,062 | 5,931 | 8,476 |
- 福井県統計書、福井県統計年鑑福井県統計年鑑デジタルアーカイブ
車両
[編集]福井鉄道合併以前
[編集]軌間762 mm時代の車両は蒸気機関車(1・2)、2・3等合造ボギー客車(1・5)、3等合造ボギー客車(2-4)、有蓋貨車(1-6)、無蓋貨車(1-6)の計19両がすべてであった。
改軌(1,067 mm)にあたり車両は中古で賄うこととし、吉野鉄道より蒸気機関車(1-3)、4輪客車(ロハ1・2、ハ1-5、ハフ1・2)を、駄知鉄道より有蓋貨車(ワ1-3、ワフ1・2)を調達した。但し無蓋貨車(ト1-3)は加藤車両にて新製した。なお翌年には国鉄が自動連結器に変更したため[24]自動連結器に交換することになったがハフ1・2は対象外となり廃車された。また経費節減のためガソリンカーを導入することになり、1927年にガ1、1928年ガ2、1929年ガ3、1930年ガ4、1934年ガ5・6と陸続と投入していった。これにともない余剰の客車は廃車となり、使用していた蒸気機関車も小型なため置き換えた。
福井鉄道合併以後
[編集]末期の南越線車両はすべて単行(1両)運転を前提とした両運転台車であった。南越線廃止後は福武線に転属、または廃車となっている。末期は130形のみの在籍であるが、検査時等は福武線の10形を借り入れる体制になっていた。
- 100形
- 元は京浜電気鉄道の車両であり、1923年に車体交換を経て譲渡された。前面部5枚窓の卵型の車体をしていた。モハ101 - 103の3両が在籍。1964年に廃車。
- 110形
- モハ111は1927年に当時の福武電気鉄道が目黒蒲田電鉄から譲渡された車両であるが、一度廃車されたものを再生したものなので籍はつながらない。主に電気機関車代用として使用されたが1975年に事故廃車。一方、クハ111は名古屋鉄道ク2315を1969年に譲り受けたものであったが、譲渡後早期に廃車となっている。
- 130形
- 廃線まで運行していた形式。200形をモデルに自社製造された。モハ131・132の2両が在籍。廃線時のさよなら運転を務めている。
- 150形
- 元名古屋鉄道3000形(モ3001、3002)。モハ151、クハ151の2両が在籍。1971年の部分廃止時に福武線に転属し、福武線120形と2両編成化されモハ121-2、122-2となり、2006年まで使用された[25]。
廃線後の状況
[編集]線路跡は大半が舗装道となっている。また途中の村国駅跡には個人私設の鉄道博物館がある。そこにはかつて鯖浦線で使用されていて、後に南越線と福武線で使用されていた160形電車の1両(元モハ62のモハ161-1)が保存されていたが[26]、老朽化で解体を予定していたところ、2023年に神奈川県の個人に引き取られることになり、同年12月に茨城県へ向け搬出された[27][28]。
脚注
[編集]- ^ a b c 南越線の北府駅は、2010年に西武生駅から改称した福武線の北府駅とは別
- ^ a b c d e f 朝日 2011, p. 23.
- ^ a b c 清水 2016, p. 33.
- ^ a b c 安田・松本 2017, p. 6.
- ^ 『鉄道院年報. 明治44年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年3月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f g 清水 2016, p. 6.
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年2月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)によると途中駅として塚町駅・北駅もこの日開業。
- ^ 朝日 2011, p. 12.
- ^ 「軽便鉄道停留場設置」『官報』第507号、1914年4月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1914年6月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1915年8月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1916年9月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「武岡軽便鉄道株式会社登記変更」『官報』第1743号、1918年05月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年9月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始並営業哩程変更」『官報』1924年9月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 今尾 2008, p. 25.
- ^ 「鉄道免許取消」『官報』1928年1月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 清水 2016, p. 18.
- ^ 清水 2016, p. 28.
- ^ a b 清水 2016, p. 47.
- ^ 連結器#自動連結器化を参照
- ^ 朝日 2011, p. 30.
- ^ 朝日 2011, p. 14.
- ^ 「福井地震の遺産、路面電車「モハ62」解体直前に“救世主” 関東の鉄道ファン「将来に残したい」」『福井新聞』福井新聞社、2023年10月20日。2024年9月8日閲覧。
- ^ 福井鉄道株式会社. “福鉄電車モハシリーズ39「モハ160形」その6”. Facebook. 2024年9月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 『ありし日の南越線』福井鉄道 鉄道運輸課 1999年
- 『南越線開業100年』越前市 武生公会堂記念館 2014年7月18日
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 6 北信越、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年。ISBN 978-4-10-790024-1。
- 岸由一郎 「私鉄車両めぐり(155) 福井鉄道」『鉄道ピクトリアル』No.626 1996年9月号
- 『週刊歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄28 えちぜん鉄道 福井鉄道・北陸鉄道・のと鉄道』朝日新聞出版、2011年10月2日。
- 清水武『RM LIBRARY 206 福井鉄道(上)』ネコ・パブリッシング、2016年10月1日。ISBN 978-4-7770-5400-8。
- 安田就視・松本典久『DJ鉄ぶらブックス021 昭和の終着駅 北陸・信越編』交通新聞社、2017年6月7日。ISBN 978-4-330-78617-9。