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武信由太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武信由太郎
人物情報
生誕 1863年9月5日
因幡国気多郡潮津村
(現・鳥取県鳥取市
死没 1930年4月26日
国籍 日本
出身校 札幌農学校
学問
研究分野 英語学
主な業績 言語辞典の編纂、海外への日本紹介
主要な作品 武信和英大辞典、新和英大辞典
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武信 由太郎(たけのぶ よしたろう、1863年9月5日文久3年7月23日) - 1930年昭和5年)4月26日[1])は、明治大正期を代表する日本の英語学者

経歴

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因幡国気多郡潮津村(現在の鳥取県鳥取市青谷町)出身[1][注釈 1]。1876年、官立愛知英語学校(のちの愛知県立第一中学校)に入学[1]、同校廃止後は愛知県中学校に編入となり[1]、1880年に卒業する[1]。同年、札幌農学校の第4期生となる[1]。1884年同校卒業[1]長野県中学校飯田支校の英語教員[1]、1887年『ジャパン・メール』の記者となった[1]。一時期三重県の教員を務め[1]、1897年に頭本元貞と『ジャパン・タイムズ』を創刊[1]頭本元貞(1863年-1943年) とは同郷同卒で親しく、福澤諭吉ら政財界の後押しによって、『ジャパン・タイムス』の刊行が実現した。

1898年、国家の繁栄と進展のためには英語を学ばねばならないとして、ジャパン・タイムズの仕事の傍ら、勝俣銓吉郎の協力を得て同新聞のダイジェスト版となる月刊誌『The Rising Generation 青年』(『英語青年』の前身)を創刊[1]。『青年』は広告料収入などにより地道に発刊が続けられていたが、1904年にはジャパン・タイムズ社内に英語青年社が設けられ、喜安璡太郎に『青年』出版事業を引き渡すこととなった[注釈 2]

その後は再び教壇に戻り、東京高等師範学校教諭、そして1905年に早稲田大学商学部教授となる[1]。同年、『The Japan Year Book Office』から日本初の本格的英文年鑑「ジャパン・イヤーブック」を創刊[1]。この年鑑は、日本統治下にあった台湾、朝鮮、樺太、満州の情報を含む日本の政治、経済、社会、文化などあらゆる分野の動向を詳細な統計資料とともに各巻500-800頁ほどにまとめたもので、戦中から戦後まで継続された唯一の英文日本年鑑である[2]。ロンドン、ニューヨークに販売代理店を置き、海外でも広く販売された[2]

1907年から『英語世界』の和訳英文を担当(- 1914年)[1]。1918年、日本初の本格的な和英辞典『武信和英大辞典』を著す[1]この辞典は、没後の1940年に『新和英大辞典』と改題して刊行され、現在に至るまで辞典として確固たる名声を得ている[要出典]

1930年4月26日、死去[1]

主な著述

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脚注

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注釈

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  1. ^ 気多郡はのち改称し気高郡鳥取仏教青年会
  2. ^ 『青年』は1904年に『英語青年』と改題され、1944年には研究社に引き継がれた。書籍による出版は2009年に終了しウェブ版となった。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 松村幹男『鳥取出身の英学者武信由太郎』中国地区英語教育学会、1984年。doi:10.18983/casele.14.0_79https://doi.org/10.18983/casele.14.0_792023年2月6日閲覧 
  2. ^ a b 西洋の語った、西洋へ語った日本・中国・アジア 洋書学術史資料出版目録エディション・シナプス

関連項目

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参考文献

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  • 鳥取仏教青年会『因伯立志人物』。横山書店、1915年
  • 速川和男鳥取県が生んだ英語」『日本英語教育史研究』第10巻、日本英語教育史学会、1995年、49-57頁、doi:10.11222/hisetjournal1986.10.0_49ISSN 0916-006XNAID 130001930186 
  • 早川勇『ウェブスター辞書と明治の知識人』春風社、2007年。ISBN 978-4861101281 
  • 松永智子「<研究ノート> 創成期の『英語青年』 : Japan Timesとの関連を中心に」『京都大学生涯教育学・図書館情報学研究』第9号、京都大学大学院教育学研究科生涯教育学講座、2010年3月、139-148頁、ISSN 13471562NAID 120002081140 
伝記
  • 森悟『武信由太郎伝』今井出版、2016年

外部リンク

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