武丸正助
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武丸 正助(たけまる しょうすけ、1671年 - 1757年)は江戸時代の農民。親孝行の逸話や浄土真宗の妙好人として知られる。
年表
[編集]- 1671年(寛文11年) - 筑前国宗像郡武丸村(現:福岡県宗像市武丸)に生まれる。
- 1710年(宝永7年) - 親孝行が認められ、宗像郡より米12俵および田を1反7畝戴く。
- 1729年(享保14年) - 福岡城に呼ばれ、自身の田の税が免除される。同時に農民として「武丸」姓を戴く。
- 1757年(宝暦7年) - 死去。
主な親孝行の逸話
[編集]- 曇りの日、雨が降ると思った父親からは下駄を履くよう、また雨は降らないと考えた母親からは、草履を履くように言われた正助は、二人の言いつけを守るため、片足に下駄、もう片足に草履を履いた。
- ちなみに、宗像市の道路標識や市の広報などに使われるイラストは、左足に下駄、右足に草履を履いたものが使われている。
- 牛や馬にも愛情を注ぎ、家畜をいたわっていた。荷物を運んだ帰りは「馬が大変だろう」と馬に乗らず、更に鞍を自ら背負ったこともある。
- 年老いて歯が弱くなった両親の前では、硬いものを食べなかった。歯の丈夫な自分をうらやましく思うことを気にかけていたため。
- 父親が酒好きであったが、苦労している正助に、とある酒屋が酒をただで渡すも、彼はその日からその酒屋に行かなくなった。「あくまで自分の働いた金で買って飲ませたい」という理由による。
没後
[編集]- 正助への関心が高まり、江戸幕府が『孝義録』を編纂した。その中では正助について詳しい記述があった。
- 菩提寺の浄蓮寺(宗像市冨地原)には50回忌に際して妙好人である正助の像が作られ、本堂に安置されている。
- 1951年、正助を記念して正助廟が当地に出来る。
- 宗像市武丸の地に正助を記念した公園、「正助ふるさと村」が出来た。
- 正助をモチーフにした「正助さん」というキャラクターが存在する[1]。