歌川芳広 (一張斎)
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歌川 芳広(うたがわ よしひろ、天保9年5月4日〈1838年6月25日〉 - 明治17年〈1884年〉4月18日)とは、江戸時代後期から明治時代にかけての浮世絵師、職人。
来歴
[編集]歌川国芳の門人。本姓は伊藤、俗称重兵衛。歌川の画姓を称し一張斎と号す。はじめは芳麿と称した。浅草山谷に生れ、鳶職佐野屋の養子となる。作画期は嘉永から明治の頃にかけてで、幼時より絵を好み13歳のとき国芳に入門した。祭礼の大行燈に絵を描いて評判になったと伝わり、また国芳の没後は上絵職を専業とし友禅模様を描いたというが、現在その作については確認されていない。享年47、法名は真誉誠念居士。
参考文献
[編集]- 井上和雄 『浮世絵師伝』 渡辺版画店、1931年 ※国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり[1]。
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵第百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※132頁