橘清野
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 天平勝宝2年(750年) |
死没 | 天長6年12月19日(830年1月17日) |
別名 | 浄野 |
官位 | 従四位上 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 橘氏 |
父母 | 父:橘奈良麻呂 |
兄弟 | 安麻呂、島田麻呂、清野、清友、入居 |
子 | 安雄、広雄、継麻呂、船子 |
橘 清野(たちばな の きよの)は、平安時代初期の貴族。名は浄野とも記される。参議・橘奈良麻呂の子。官位は従四位上。
経歴
[編集]弘仁3年(812年)従五位下に叙爵。嵯峨朝末の弘仁13年(822年)従五位上次いで従四位下と1年間に四階の昇叙を受けた。淳和朝の天長2年(825年)従四位上に至る。
天長6年(830年)12月19日卒去。享年80。最終官位は散位従四位上。
人物
[編集]質素な性格で、欲が少なかった。交野に隠棲し朝廷に出仕しようとしなかったが、嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子の伯父であったことから高位に昇ったという[1]。
官歴
[編集]『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁3年(812年)正月7日:従五位下
- 弘仁13年(822年)正月7日:従五位上。日付不詳:従四位下
- 天長2年(825年)正月7日:従四位上
- 天長6年(830年)12月19日:卒去(散位従四位上)