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橘安麻呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
橘 安麻呂
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 天平11年(739年
死没 弘仁12年7月11日821年8月12日
官位 正四位上播磨守
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘奈良麻呂、母:大原麻呂娘?・明女
兄弟 安麻呂島田麻呂清野清友入居
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橘 安麻呂(たちばな の やすまろ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族参議橘奈良麻呂の長男。官位正四位上播磨守

経歴

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延暦6年(787年従五位下雅楽助に叙任される。その後、桓武朝において中務少輔甲斐守少納言内蔵頭と内外の諸官を歴任する。延暦24年(805年)正月に従四位下左中弁に叙任されるも、同年9月には早くも常陸守として東国の地方官に転じるが、母の病を理由に備前守次いで播磨守と続けて転任した。

平城朝大同2年(807年)に発生した伊予親王の変において、伊予親王外戚であったことから連座して官職を解任され帰京する。

嵯峨朝に入ると罪を赦され、弘仁元年(810年)従四位上、弘仁10年(819年正四位下から正四位上に昇叙されるなど順調に昇進を果たしている。長命を保ち弘仁12年(821年)7月11日卒去享年83。最終官位散位正四位上。

人物

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礼節をよく守り、加えて古事に明るかった。数多くの官職を歴任したが、清廉で品行方正との評判はなかった[1]

官歴

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六国史』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 日本後紀』弘仁12年7月11日条

参考文献

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