横田汝圭
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横田 汝圭 | |
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生誕 |
明和2年(1765年) 武蔵国江戸 |
死没 |
天保13年6月18日(1842年7月25日) 武蔵国江戸 |
墓地 | 東京都台東区長久院 |
教育 | 谷文晁 |
著名な実績 | 南画 |
代表作 | 「垣内忠質肖像」「紙本著色不動明王像」 |
横田 汝圭(よこた じょけい、明和2年(1765年) - 天保13年6月18日(1842年7月25日))は江戸時代後期の南画家。
字は太復、号は汝圭のほかに三笠山樵・盤磚居士・復庵・介庵など。三好汝圭と同一人物[1]。江戸の生まれ。
略伝
[編集]谷文晁門下。鳥越明神前に住む。中国元・明の画風を慕い、山水図・花鳥図を得意とした。一時甲州に移り住んだが、再び江戸に戻り気ままに生活したという。
尚歯会に加わり、狩谷棭斎・松崎慊堂・渡辺崋山・亀田鵬斎・渡辺南岳など多くの文人と交流があった。尚方鑑(古銅鏡)を所蔵した[2]記録がある。
作品
[編集]- 「垣内忠質肖像」亀田鵬斎賛 渥美コレクション 文政5年(1822年)[3]
- 「墨竹図」江戸民間書画美術館 渥美コレクション
- 「山水図」江戸民間書画美術館 渥美コレクション 文政9年(1826年)
- 「紙本著色不動明王像」大善寺所蔵・山梨県立博物館寄託 文化4年(1807年) 平安時代後期製作「絹本著色不動明王像」復元模写 山梨県指定有形文化財[4][5]
- 「梅荘顕常像」寛政11年(1799年)賛[6]
- 「孔子像」東京国立博物館[7]
- 「夏冬富士山真景図屏風」[8]
- 「甲陽川口湖真景」天保2年(1831年)9月誌 大森快庵『不二紀行詩』口絵[9]
脚註
[編集]- ^ 森銑三「谷文晁傳の研究」『森銑三著作集』 第3集、中央公論社、1971年。
- ^ 新井宏「狩谷棭斎讃歌(七)」『まんじ』第114号、まんじの会、2009年11月。
- ^ 鈴木泉「35 垣内忠質肖像 横田汝圭筆・亀田鵬斎賛」『江戸の文人交友録 亀田鵬斎とその仲間たち 渥美コレクションを中心に』世田谷立郷土資料館、1998年9月。
- ^ 絹本著色不動明王像 一幅 附紙本著色不動明王像 横田汝圭筆 一幅 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “絹本著色不動明王像 附紙本著色不動明王像 横田汝圭筆”. 山梨の文化財ガイド(データベース)絵画. 山梨県 (2015年10月22日). 2018年4月16日閲覧。
- ^ 『生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村 展示替リスト』サントリー美術館 。
- ^ “孔子像”. ColBase 国立博物館所蔵品統合検索システム. 国立文化財機構. 2018年4月16日閲覧。
- ^ “開館25周年記念 特別展 ふじ ―霊峰富嶽の名画がズラリ―”. art commons ―展覧会情報検索. 国立新美術館. 2018年4月16日閲覧。
- ^ “不二紀行詩”. 近世日本山岳関係データベース. 信州大学附属図書館. 2018年4月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 渥美国泰『写山楼谷文晁のすべて 今、晩期乱筆の文晁が面白い』里文出版、2001年。ISBN 4898061729。