コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

横瀬文彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横瀬 文彦(よこせ ふみひこ、弘化4年6月14日1847年7月25日) - 明治44年(1911年6月15日)は、明治時代の大学中助教、名古屋藩立洋学校英語教師、翻訳者、新聞編集者・論説員、兵庫県御用掛[1]神戸師範学校長、大蔵省参事官[2]古社寺保存会委員[3]。前名は向坂 盛之助(さきさか もりのすけ)。実父は徳川家御家人で御賄方であった寺嶋静一郎。養父は同家御家人で小普請組の向坂曻太郎(実兄)。

著作

[編集]
訳書

脚注

[編集]
  1. ^ 兵庫県御用掛横瀬文彦御用掛被命ノ件」(国立公文書館所蔵 「公文録・明治十五年・第二百一巻・官吏進退(大蔵省)」)。
  2. ^ 『明治二十三年 職員録 甲』47頁
  3. ^ 『内務省職員録 明治三十一年七月調』131頁

参考文献

[編集]
  • 横瀬美保『失言により免職 : 明治を生きた徳川家御家人の末息子横瀬文彦』パレード〈Parade Books〉、2024年5月、12-126頁。ISBN 9784865223873 [信頼性要検証]

関連文献

[編集]
  • 「進學社」(東京都立教育研究所編 『東京教育史資料大系 第一巻』 東京都立教育研究所、1971年3月)
  • 「横瀬文彦」(大蔵省百年史編集室編 『大蔵省人名録 : 明治・大正・昭和』 大蔵財務協会、1973年3月)
  • 吉原瑛「保健・衛生編解説」(大場一義、吉原瑛編・解説 『近代体育文献集成 第二期別冊』 日本図書センター、1983年2月)
  • 「横瀬文彦」(宮武外骨、西田長寿 『明治新聞雑誌関係者略伝』 みすず書房〈明治大正言論資料〉、1985年11月、ISBN 4622009501

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
公職
先代
江川英武
造幣局出張所長
日本の旗 造幣支局長
1890年 - 1891年
造幣局東京出張所長心得
1887年 - 1890年
造幣局出張所長心得
1886年 - 1887年
次代
阪谷芳郎
支局長心得
先代
本山彦一
津田純一
神戸師範学校長
1882年
1879年 - 1881年
次代
吉田義静
本山彦一