横瀬文彦
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横瀬 文彦(よこせ ふみひこ、弘化4年6月14日(1847年7月25日) - 明治44年(1911年)6月15日)は、明治時代の大学中助教、名古屋藩立洋学校英語教師、翻訳者、新聞編集者・論説員、兵庫県御用掛[1]、神戸師範学校長、大蔵省参事官[2]、古社寺保存会委員[3]。前名は向坂 盛之助(さきさか もりのすけ)。実父は徳川家御家人で御賄方であった寺嶋静一郎。養父は同家御家人で小普請組の向坂曻太郎(実兄)。
著作
[編集]- 「征台始末ニ付建言」(国立公文書館所蔵 「上書建白書・諸建白書(十一)・明治七年十一月〜明治七年十二月」)
- 牧原憲夫編 『明治建白書集成 第四巻 明治七年十月〜明治八年十月』 筑摩書房、1988年8月、ISBN 4480354042
- 訳書
- 『西洋 養生論』阿部弘国共訳、東生亀次郎、1873年7月上篇・下篇
- 田中ちた子、田中初夫編 『家政学文献集成 続編 明治期VII』 渡辺書店、1970年8月
- 吉原瑛編・解説 『近代体育文献集成 第25巻 保健・衛生2』 日本図書センター、1983年2月
- 『日耳曼史略』 文部省、1876年2月巻九・巻十
- 巻八までは後藤達三が訳出。
- 『百科全書 英国制度国資』 文部省、1878年10月
- 『百科全書 第十三冊』 文部省、1879年3月 / 有隣堂、1883年12月
- 『百科全書 中巻』 丸善商社出版、1884年5月 / ゆまに書房、1985年2月
- 『文部省百科全書 14』 青史社、1985年12月
- ウィリアム・チェンバース、ロバート・チェンバース編 Chambers's Information for the People 中の "Constitution and Resources of the British Empire" の翻訳。
- 『英京 倫敦新誌 第一編』 奎章閣、1880年11月
脚注
[編集]- ^ 「兵庫県御用掛横瀬文彦御用掛被命ノ件」(国立公文書館所蔵 「公文録・明治十五年・第二百一巻・官吏進退(大蔵省)」)。
- ^ 『明治二十三年 職員録 甲』47頁。
- ^ 『内務省職員録 明治三十一年七月調』131頁。
参考文献
[編集]- 横瀬美保『失言により免職 : 明治を生きた徳川家御家人の末息子横瀬文彦』パレード〈Parade Books〉、2024年5月、12-126頁。ISBN 9784865223873。[信頼性要検証]
関連文献
[編集]- 「進學社」(東京都立教育研究所編 『東京教育史資料大系 第一巻』 東京都立教育研究所、1971年3月)
- 「横瀬文彦」(大蔵省百年史編集室編 『大蔵省人名録 : 明治・大正・昭和』 大蔵財務協会、1973年3月)
- 吉原瑛「保健・衛生編解説」(大場一義、吉原瑛編・解説 『近代体育文献集成 第二期別冊』 日本図書センター、1983年2月)
- 「横瀬文彦」(宮武外骨、西田長寿 『明治新聞雑誌関係者略伝』 みすず書房〈明治大正言論資料〉、1985年11月、ISBN 4622009501)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- [ 向坂家 ] 由緒書 - Family Search
公職 | ||
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先代 江川英武 造幣局出張所長 |
造幣支局長 1890年 - 1891年 造幣局東京出張所長心得 1887年 - 1890年 造幣局出張所長心得 1886年 - 1887年 |
次代 阪谷芳郎 支局長心得 |
先代 本山彦一 津田純一 |
神戸師範学校長 1882年 1879年 - 1881年 |
次代 吉田義静 本山彦一 |